1972年か、73年に、貿易摩擦を見ていた興銀の産業調査部が、「日本企業は、生き残りのために国際化せざるを得ない。現地に直接出て行き、売れるところで作るようにする。これからは海外への直接投資が450億~550億ドルはニーズが出てくるはずだ」というリポートを上げたんです。国内だけを見ていると興銀への資金需要は減っていく。一部に興銀不要論も出ていました。「だが、この日本企業の海外進出トレンドを追っていけば大丈夫だ、宝の山になる。逆に、放置していれば、海外業務に強い東京銀行(現:三菱東京UFJ銀行)など、他行に顧客を持って行かれかねないぞ」とね。
なるほど。
長門:ということで、海外に張り切って出ていったんですが、まだまだ日本企業による直接投資規模は小さく、邦銀海外拠点も食わねばならないから、日本企業のみならず米国企業も対象に資金需要を開拓したんですよね。僕は興銀入行後その一人の先兵だった。
79年に赴任したヒューストンを中心に、最初はテキサスとルイジアナの2州を担当。やがて、よりエネルギー産業にくい込むため、本部に「エネルギー5州(テキサス、ルイジアナ、コロラド、オクラホマ、ニューメキシコ)に拡大してください」と、建白書を送ったところ「元気なようだからもっとやらせろ」と池浦(喜三郎)頭取が裁断、13州を受け持つことになりまして、気温30度のヒューストンから、吹雪のノースダコタ、モンタナ州まで飛び回りました。
それを経て、今度は87年にニューヨークに異動して、この本を読んだのは、そんな最中です。投資銀行の知人も何人も登場していました。ファーストボストンのデイビッド・・マレッタとは「名前を見たよ」「本のことだな」と、電話でやりとりをしたり。
世紀の買収を支えたのは日本だったのに
当時の読後感はどうでしたか。
長門:この話は当時、現地でも大変話題で、「日本のどこそこの銀行が、KKRに巨額の資金を提供した」といった話が流れて、我々も大いに興奮していました。実際、大宗は日本の銀行によるシンジゲーションローンで、それがなければ、あの世紀の買収は成り立たなかったんです。
ところが、米国の投資銀行や金融機関の社名や、個人名は山のように出てくるこの大著に、日本のバンカーは、会社も名前もただのひとりも出てきません。「日本とは、まだその程度のプレイヤーだったのか」と、ショックでした。
ご記憶と思いますが、当時はソニーと松下(現:パナソニック)が米国の映画会社を買い、三菱地所がロックフェラーセンターを買い、どこの新聞を見ても、一面トップに日本の名前が踊っていました。ぼくなんかニューヨークに赴任して、地下鉄に乗ってジムに通って「よくぞ今、日本人に生まれけり」と思っていた。ところが、これだけの本になる出来事で、お金もこんなに多額を貸しているのに、全然日本の金融機関は出てこない。どういうことかと。
実は、この本を読みながら、日本企業が出てくるところに赤い付箋を貼ってみたんですが。
長門:どうでした?。
ごらんのとおり、たった1箇所です。
長門:どんな逸話で出てくるんでしたっけ?
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