前回は、「日経ビジネス」の読書欄で長門さんに取り上げていただいた鄧小平、ケネディの評伝(『ニュー・エンペラー 毛沢東と鄧小平の中国』『ニクソン 我が生涯の戦い』)を改めてご紹介しましたけれど、改めて本を通してリーダーについて考えてみる、というのはいかがでしょう。
長門:面白いですね。近代のリーダー、といえば…
リーダーといえば。
長門:ニクソン、鄧小平ときたら、ウィンストン・チャーチルでしょうか。
ウィンストン・チャーチル(左)。右はフランクリン・ルーズヴェルト米国大統領の顧問を務めたバーナード・バルーク
英国首相のチャーチル。これは王道ですね。自身も著作家で山ほど本を書いています。
長門:1953年にノーベル文学賞まで取ってます。実は私、今年、日本郵政の社長になったので、新入社員の歓迎会でスピーチすることになって、その時に彼の言葉を使わせてもらいました。
どんな言葉を引用したんでしょうか。
チャーチルのあの名スピーチ
長門:だいたい、新入社員さん向けのスピーチは、「これからの時代は」「新人としての心構え」とか、定番があるんですよね。でも、社会人経験がないといっても、大学卒業までの人生で、自分なりに悩んできてもいるだろうし、友達と飲んだり叫んだり、恋もしながら、その人その人の哲学を持っていると思うのです。ですので、「おこがましいけど、44年社会人をやってきて、私がこう考えているところを聞いてくれ」と。
1個目は、「人事異動にうろたえるな」。一喜一憂するなと。「サラリーマン、飯より好きな人事異動」とか、「人事異動、おいらの趣味がまた変わる」とか、サラリーマン川柳の題材に事欠かない行事ですよね。「例えば今日、ここにいるみなさん全員が発令を受けます。希望通りいかない人もいるでしょう。でも心配は要りません」。実例も言いましたよ。
実例?
長門:「たとえば、富士重工の吉永泰之社長は、新人から1年間、三鷹工場で段ボールを運ぶフォークリフトの運転手をされていた。あるとき門扉にボンとぶつけて門を壊しちゃって問題になり、給与カットすら取り沙汰された。でも、今は社長なんです」ということで。
長門さんは富士重の副社長もされましたから、ご存じなわけですね(笑)。
長門:そもそも日経の夕刊コラムでご本人が書いておられる公開情報ですけどね。「自分自身にしても、ヒューストンに行かされたり、アジア通貨危機のど真ん中でタイに赴任になったり、希望通りじゃない人事でいろいろ苦労したんだけど、例えば、ヒューストンでの経験のおかげで、原油やシェールオイルの問題はポイントが簡単にのみ込めるし、通貨危機に遭ったことがあるから、少しぐらいの事件では全然びっくりしない。リーマンショックなんかへでもない」と言ったわけです。だから君たち、人生にムダはない、楽しんでやってくれと。
それが1つ目、2つ目は?
長門:ここで「チャーチルはね」とやりました。たしか、彼の母校のハーロウ校の卒業式に呼ばれてのスピーチで。
英国が、ドイツを向こうに回して第二次大戦を戦っている最中の…
長門:そうそう。名うての演説家が士気高揚のために、母校で何を話すか、たっぷり聞かせてもらおうと興味津々の聴衆に、壇上に上がるや「Never,never,never give up」とだけ言って、出ていっちゃって、残るのは万雷の拍手だった。
長門:…と言われているけれど、実際にはちゃんとスピーチをして、その中の名文句だけが残った、というのが真相らしいですね。言葉もちょっと違って「Never give in.Never,never,never,never」が正しい(参考リンクはこちら)。意味はほとんど同じだし、分かりやすいほうが広がったんでしょうね。
「チャーチルの、一文だけのスピーチ」は、都市伝説なんですね。それで?
長門:「だけど、チャーチルが言う『ネバーギブアップ』は、簡単なことじゃないんだよ」と話しました。例えば、「Never,never,never give up」を日本語にするとどうなるか。
はて。
長門:たとえば「朝の来ない夜はない」とか、「出口のないトンネルはない」とか、そんな言葉では彼の言葉を訳すには軽すぎるんです。
長門さんならば、どう訳すのですか?
長門:「夜死んでしまえば、朝は来ない」でしょうね。
ははあ…。
“成功するまで、絶対死ぬな”
長門:暗い夜だろうと、トンネルの中だろうと、どんなに先が見えなくても、生きて、歩み続けて、朝が来るまで、出口が見えるまで生き延びなきゃいけないんです。「これがチャーチルが言った『ネバーギブアップ』だと思います。それぐらいの気合を持って生きましょう」と、使わせていただきました。
長門さん、こういう「ダイハード」なお話を持つリーダーの本がお好きですよね。
長門 そうですか、そういえばソールズベリーの描く『ニュー・エンペラー』の鄧小平なんてまさに「Never,never,never give up」ですよね。前回もちょっと触れましたけど、中国の指導層に居ながら65歳になって失脚して、長男が大けがをさせられた上に幽閉されて、自分はヒラの工員としてトラクター工場で働く身になって。
それでも諦めずに、息子のために嘆願書をあちこちに書き、体力維持のため毎日の運動を欠かさず、工場では腕のいい工員として評判を取る。
長門:そして、文化大革命の大失敗で打つ手がなくなった毛沢東からついに声がかかる。その時の彼の返事が「準備はできています。仕事をください」。
格好良すぎますよね。チャーチルにも挫折の話が山ほどあるとか。
長門:そもそも、彼は青年期までは勉強ができなくて、大学にも行けず、3回落第して士官学校にようやく入ったんですよね。政治家としても、自分のミスで何度も失脚しているし、戦争指導にしても、第一次世界大戦でも第二次世界大戦でも大失敗をしている。でも、彼が居なかったら、米国が連合国側に立って戦ったかどうかは疑問とされている。
なるほど。
長門:と、このくらいしか本当は知らないんです(笑)。チャーチルの本も、『第二次大戦回顧録』をちらっと読んだかな。
実は私もそうなんですが、最近出た『チャーチル・ファクター』という本をご存じでしょうか。
長門:いえ。おすすめなんですか?
担当編集の方が知り合いで、友人からも紹介されて読んだのですが、これがものすごく面白いんです。例えば、彼の名演説が作られていく仕組みが詳細に紹介されています。
長門:というと?
まず、彼は猛烈な読書家で、古典から何から重要な本を片っ端から読んでいて、しかもいい文章や詩が全部頭の中に入っているので、題材に応じてそれがぱっと出てくる。そして、彼は本にしてもスピーチにしても、基本的にまず全部口述する。それを筆記するスタッフが常時待機している。チャーチルは、彼ら彼女らが書き取ってタイプしたものを見て、それを推敲しながら原稿を作っていく。
長門:なるほど。
しかも、家の中には6万冊の蔵書と6人ぐらいのリサーチャーを置いていて、24時間体制で、チャーチルが「あれはなんだっけ」といったら関連資料をがーっと引きずり出してくる。
長門:マンガの『ゴルゴ13』の制作スタッフみたいなものでしょうかね。チャーチルのスピーチや原稿を作るためにチームがいるわけですね。
ええ、いわゆるスピーチライターがいるんじゃなくて、しゃべるのに必要なことを調査し、しゃべったことを全部記録する。原稿の中身は全部チャーチル。ただし、音声認識装置付きの人力グーグルみたいなものがバックにあった。
長門:そのための建物や資料収集、もちろん人件費も膨大だったはずですが、彼はお金はあったんですよね。当時、英国でアメリカ人の資産家と結婚するというのが流行で、チャーチルのお父さんも、アメリカ人の資産家と結婚したんですよね。
個人は歴史を変えられるのか
そうです。よくご存じで。
長門:「ダウントン・アビー」を見ていますから。
ネタ元は「ダウントン・アビー」(笑)。チャーチルのお母さんも資産家なだけでなく、ステージママ的なところもあって、彼が従軍記者になったときに、話題性のある戦場に行けるように、裏工作をしまくったとか、書いてありました。
長門:なるほど。ちょっと気になるのですが、タイトルの「ファクター」というのは、どういう意味なんですか。
チャーチル的要素…かな?
長門:もちろんそれは分かるんですけれど、どういう意味で書いているの?
副題が『たった一人で歴史と世界を変える力』なんですね。
長門:なるほど。
これはこの本の著者が書きたいことだと思うんですけど、1940年の5月、フランスがナチスドイツに蹂躙されて、英国本土攻撃も時間の問題、「ヒトラーとどう妥協するか」が英国政府の本音になっていたときに…
長門:チャーチルが1人で、「ナチスと組むなんてことはあり得ない」と言っていた。
そうです。彼の演説が英国議会の状況をひっくり返した。チャーチルという人がそのタイミングにいたことが世界を救ったんだというのを、この本の作者はすごく書きたいわけです。
長門:それでチャーチル・ファクターか。どんな演説をしたんでしょうね。
ちょっとこの本から引用させていただきましょう。
私は自分が「あの男」(ヒトラー)と交渉に入ることが自分の責務かどうかについて、ここ数日間、熟考してきた。
しかし、いま平和を目指せば、戦い抜いた場合よりもよい条件を引き出すことができるという考えには根拠がないと思う。ドイツ人はイギリスの艦隊を要求するだろう。武装解除という名目で。海軍基地なども要求してくるだろう。
イギリスは奴隷国家になるだろう。モーズリーや同様の人物の下で、ヒトラーの傀儡となるイギリス政府が立ち上げられるだろう。そうなったら、われわれはどうなるか? しかしわれわれには巨大な備蓄や強みがある。
(中略)
私が一瞬でも交渉や降伏を考えたとしたら、諸君の一人ひとりが立ち上がり、私をこの地位から引きずり下ろすだろう。私はそう確信している。この長い歴史を持つ私たちの島の歴史が遂に途絶えるのなら、それはわれわれ一人ひとりが、自らの流す血で喉を詰まらせながら地に倒れ伏すまで戦ってからのことである。
(『チャーチル・ファクター』33、34ページより引用)
こう彼が言った瞬間に、みんなどーっと拍手をして、全員、ナチスと戦う気持ちになったと。
長門:「歴史は大きな河で、個人のできることは知れている」という見方もありますが、この本の著者は、いや、個人の力が大事なんだ、その人の言葉が大事だ、と考えているわけですね。
小倉昌男が語る、経営者の条件
当時の英国政府の要人たちが考えていたように、短期で見れば、英国はナチスと組んだ方がよかったのかもしれない。実際、英国は第二次大戦で国力を失い、ヘゲモニーが米国に移りましたしね。
長門:もちろん、長期で考えればナチスと組むことはあり得ない、と、いまの我々には思えるけれど、その場に居たら、戦争という決断を下して、そちらに引っ張っていくリーダーというのは、「never never never give up」と言える胆力と、説得力が必要でしょう。
ナチスは根本的に攻撃的かつ報復主義的で、民主主義国と長期的な関係を組める可能性がない、ということは、冷静に考えれば分かるのでしょうけれど、拒めば戦争で、確実に大損害が出る。数万人規模の犠牲を是とすべきだ、と、理屈のみで政治家や国民を説得するのは…。
長門:当たり前なんですけれど、政府にしても企業にしても、リーダーには絶対、論理性、ロジカルな能力は要るんですよ。まずは、自分の主張を相手にきちんと説明することができないとダメです。ヤマト運輸の小倉昌男さんが書かれた『経営学』の中に、「経営リーダー10の条件」という章があって、筆頭に「論理的思考」を挙げています。
なるほど。
長門:論理は必須です。彼がロジカルに考え抜いたから、「宅急便」のサービスが生まれた。
長門:でもその次に、やっぱり人に伝えるには表現力が要る。チャーチルの反対側にいたヒトラーにも、ロジックだけでなく表現力があったから、ほぼ欧州全土を制圧するまでの戦争ができたわけですよね。
その、表現力の奥にあるのは、必ずしも論理じゃない。むしろその人個人の情緒的もの、想い、心情や、経験、宗教観などではないかと思います。自伝を読むと、ニクソンもそうだった。小倉さんも経営者の条件の中に「ネアカ」な精神の持ち主であることを入れていますし、彼は敬虔なキリスト教徒だったそうです。
『チャーチル・ファクター』を読んだ限りでは、チャーチルの精神の奥底にあったのは、自由主義への熱狂的な信頼、そして、やはり政治家であった父親を失望させた記憶と、その死んでしまった父の、愛情や信頼を取り戻したい、という熱望だったのではないか、と。
著者は「チャーチルになりたい」?
長門:相当面白そうな本ですね。著者は誰なんですか。
それが、元ロンドン市長のボリス・ジョンソンなんです。原著が出たのは2014年です。
長門:EU離脱派のボスですか。ああ、じゃあ、この本は、当然、含みがあるわけですね? ボリス・ジョンソン本人がどんなものを精神の奥に潜めているかは、本から伺えるんですか。
最後のほうでしっかり「チャーチルも分離派だった」とアピールしていますし、どこかで、自分とチャーチルを重ねたいと思っているフシは感じます。
長門:自分が首相に立候補したいわけですね。彼はたしかキャメロンの、オクスフォードの先輩で。
しかもジャーナリスト出身なんですよ。チャーチルの経歴と重なります。
長門:じゃあ、「俺の出番だ。俺は21世紀のチャーチルなんだぜ、分かってる?」と言いたいんでしょうね。なるほど(笑)。
そういう企みは感じるとしても、すごく面白い本なのは確かです。彼がチャーチルになれるかどうかは分かりませんが。
長門:「こういうことをしたい」「こうあるべきだ」じゃなくて「チャーチルになりたい、首相になりたい」しか、彼の奥底になかったら困りますね。そうでないことを祈りましょう。『チャーチル・ファクター』は読んでみたいです。相変わらず「読書の時間はありません」が(笑)。
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