長門:そう、フレッチャーはそういう教育機関です。外務次官になられた齋木(齋木昭隆)さんとか、外務省の人がいっぱい卒業している学校です。そこに2年間いたんですよ。国際関係論に興味があったので。

 ところが、自分で望んで留学したのに実は焦りがあったんです。僕は銀行に入って調査部に配属されて、そのまま留学しちゃいました。同期の仲間はだいたい地方支店に行って、そこで預金か債券をやるんです。お金を集める仕事の経験をするわけですね。それから審査か営業をやるんです。こちらはお金を貸す仕事。これで一通り銀行員としての基礎ができて、あとはもう、積み重ねていくわけです。

 僕は2年間調査部にいて、それで留学しちゃったものだから、5年生ぐらいまで全然銀行の仕事をしてないんです。しかも国際関係論に行っちゃったんですよ。ビジネススクールじゃなくて。

仲間に置いていかれる不安

長門:ビジネススクールに留学した連中は、「もう、ビジネスのなんたるかが分かったような気がする」とか言いだすわけです。言う方も若いですが、聞く自分も若いですから、「俺は国際関係論とかやっていて、大丈夫なのか」と、本気で心配になる。そんなことが重なって「自分は米国で一人、みんなに置いて行かれていくようだ」という不安や嘆きを、同期入行の親しい友人に手紙で書いたんですね。

 そうしたら、返事が来た。その返事の中に、この秋山真之の本から引用された文章があったんです。1898年1月15日、先輩の竹下勇大尉から受け取った年賀状に、秋山真之が書いた返事の中にあった言葉です。

「小生着来後の情場、大略如前述。今や東亜の風雲漸く動き、形勢日々に相迫るの際、独り千里の異境に読書するも、中中不本意至極に候得共、小生の本分は又別に有之、唯益精到強勉、持而邦家他日の御用を相待つの外無他事候。」

 これを読んで、僕は唸ったわけですよ。「いいことを言うな、この人は」と。すでに「坂の上の雲」の連載は終わって本も出ていたので、秋山真之のことは知っていましたが、この手紙は司馬さんの小説にも出ていたのかな、初めて読んだように思います。

秋山真之は、『海上権力史論』を著したアルフレッド・セイヤー・マハンを初めとする米国海軍の要人たちから、直接、歴史や戦争の現場を学んだ。『アメリカにおける秋山真之』は、当時の彼を資料に基づいて小説風に振り返った本なんですね。

長門:この文章からは、1895年の三国干渉後、日本とロシアの間に緊張が高まっている最中に、米国留学をしている歯がゆさと、海軍の戦略・戦術の最先端で直に学んだこの経験を、他日必ず役に立ててやる、という気持ちの高まりが感じられます。

 その後、自分でも本を入手して、いくつもエンカレッジされたんですけれど、特にこの文章はまさにその通りだなと。秋山真之はアメリカに留学して、戦略・戦術だけに留まらない深い学びを得た。なるほど、じゃあこっちも頑張ろうかと。「人生は長いんだ、今は回り道をしているようでも、これから先、絶対プラスになることがあるはずだ。うじゃうじゃ考えずに今を頑張ろう」とね。とんでもない回り道を選んだ、と後悔した時に、背中を支えてくれた本ですね。