習近平は独裁者ではない

そもそも最高権力者である中国共産党の習近平総書記は、中国をどうしたいのでしょうか?

高原:はっきりしませんね。経済的、政治的な改革をする「右」方向に行きたいのか、毛沢東時代をほうふつとさせる「左」方向に進みたいのか、もちろん中国にとって望ましいのは、国有企業の寡占体制を打破し、富の分配制度を改革することです。その2つを実現するための政治改革も必要です。これは前首相の温家宝時代から言われていたことで、現在の財政部長(日本の財務大臣に相当)も所得税の累進税率の強化や不動産税の徴収強化を主張していますが、既得権益を奪うようなことは政治的に難しいです。

 ちなみに、遺産税(日本の相続税に相当)は税目としては存在するのですが、実際には徴収されていません。さらに、大金持ちだけが相続税の徴収に反対するかと言えば、そうでもないのです。家やクルマをやっと手に入れたのに手放すのは嫌だという市民も多いというのが現実です。

 習近平自身については二つの見方があります。一つは政治改革を本当はしたいが、その前に抵抗勢力を打ち払って二期目で政治改革に取り組むという説です。もう一つは政治改革に興味はないというもので、私は現時点では後者だと思っています。

 彼にとって大切なのは中国共産党の支配が続くことです。政治改革に興味はないと感じます。海外の第三者から見ると、中国共産党が絶対的な権力を手放す方が、長い目で見て国家や社会が安定すると思うのですが、当事者はそう考えられない。中国のことわざには「虎にまたがったら降りられない(騎虎の勢)」という言葉があります。背に乗り続けていないと食われてしまうという意味ですが、権力を手に入れた以上、それを維持するしかないということです。

 反腐敗の取り締まりが続くことで、地方の幹部が萎縮してやる気を失い、経済への悪影響が懸念されていることは、習近平も認めるところです。習近平は幹部たちの不作為を批判しているのですが、彼は独裁者ではない。地方の幹部たちは面従腹背で言うことを聞きません。

 自分で何でもコントロールしようとし過ぎたことで習近平への反発は強まっています。2月19日に新華社や人民日報といった三大メディアを回って、「メディアの姓は党」であり、「党の喉と舌」として党中央の意向をきちんと伝えることを要求しました。

 それに対しては、強い反発を世論の側から受けました。特に反腐敗の取り締まりを進める王岐山の友人で経営者の任志強氏が痛烈に批判し注目を集めました。官製メディアからはその任志強氏への批判が始まりましたが、騒動の最中、中央規律検査委員会は「千人の諾諾は一士の諤諤に如かず」(千人の服従は、一人の直言に及ばない)と題した記事をホームページに掲げました。そして任志強氏への批判がやんだことで、習近平が妥協を強いられたと格好の話題になりました。

 また、「習近平同志を中核(中国語で核心)とする党中央」というフレーズを使うことがいくつかの地方指導者から始まり、誰がその表現を使うか多くの人々が固唾をのんで見守っていたのですが、中央政界の人のほとんどは呼応せず、キャンペーンは頓挫してしまいました。これは習近平の威信に打撃を与え、潮目が変わってきたと感じます。

 3月4日には官製メディアの1つに習近平同志への公開書状が公開され、数時間後には取り下げられたのですが、不景気や外交上の孤立化、メディア統制や権力の独占など諸方面の習近平の失政を並べ立て、その辞職を勧告する内容で、政治的に高いレベルでの抗争があることを示唆するものでした。

 少なくとも2015年までの様に政敵を次々に倒していた頃と、習近平を取り巻く環境は違います。来年開催される5年に1度の中国共産党の党大会に向けて、いよいよ熾烈な戦いが始まったということです。党大会では7人の政治局常務委員のうち、5人が交代する可能性があり、そこに誰が入るのか。構図としては、「習近平の支持者たち」と、反発する元総書記の江沢民や前総書記の胡錦濤につらなる人々を含めた「その他の勢力」との対決です。