「大賀さんはエンジニアと真剣に議論した」
土井:大賀さんにはいろいろと承認のための説明に行ったけれど、よく覚えているのは、僕の研究所で「Suica」などの元になる非接触ICカードの研究開発をやっていた時のこと。米国の映画会社を買収した後で、財務的に大変な時代だったのもあり、非接触ICカードの開発プロジェクトの予算を削減すべきだ、という話が社内で出ていたんだ。
このプロジェクトの研究開発費が重いから減らそう、という案だった。技術屋じゃない人が「事業仕分け」みたいなことやって、コスト削減対象の事業に入っちゃったんだな。
それを回避するために僕は、大賀さんのところに直接乗り込んで、「いずれ電子マネーの時代が来る。だから、この研究開発はコストを減らさず続けるべきだ」と主張したんだ。その時も大賀さんは、僕の言うことを最後には理解してくれて「Just do it!」と言ってくれた。
大賀さんとはCDの開発を一緒にやった戦友でもあるから。CDの時は意見がぶつかって丁々発止の議論をよくやっていたよ。CDの音質を左右するビット数を決める段階でも14ビットか16ビットかで意見が割れてね。
14ビットでも十分に音質は高いっていうことで、ソニー側も、共同開発していた蘭フィリップス側も14ビットでやろうという意見だった。だけど、僕が両社の中で唯一、16ビットを主張していた。16ビットだと録音時間が短くなってしまうが、音質はいい。だから欧米の音楽関係者からは僕の主張の方が支持されていたんだ。
ついにフィリップス側が大賀さんに、「14ビットにしないと開発スケジュールが遅れてしまう。土井が一人で16ビットを主張してプロジェクトの進行を妨害している」と苦情を言ってきた。そして大賀さんから僕のところに、「何で16ビットにこだわるんだ。14ビットでもいいじゃないか」という話が来た。でも僕は譲らなかった。
構図としては似ているけれど、CDを開発していた時のこの議論と、AIBOやQRIOの開発時の議論が違うのは、たとえ自分の意見と異なっても、最終的には現場のエンジニアの言うことを尊重してくれる経営トップがいたということ。
大賀さんは、自分と違う意見であっても、筋が通っていれば尊重してくれた。ケンカじみた議論になることもあったけど、ゆるぎない信頼感がある中でのやり取りだった。だから、経営トップとしての権限を行使して、上から強制的にプロジェクトをやめさせるなんてことはなかった。器が大きい人間だったんだな。
井深さんは、「反対して悪かったな」としんみり語った
土井さんはエンジニアなので、創業者世代の3人の中では、井深さんとの接点が一番多いように感じますが。
土井:井深さんは特に聞き上手だったね。もう天然に近い聞き上手。技術に関しては、本当に興味がいろいろあったから、とにかく人に聞きまくる。「これはどうなってんだ」とか聞いて、それに答えると「ほうほう、それで」と、どんどん話を展開させていく。そういう天然の話術で、現場を回りながら社内の情報をうまく集めていたんだと思う。
井深さんとの思い出はいろいろありすぎるんだけど、仕事での思い出と言えば、やはりCDの規格を作っていた頃かな。CD開発の時、実は井深さんは反対していたんだ。井深さんはアナログ技術が好きな人で、デジタル技術が嫌いだったんだ。
とはいえ、反対はするけど「やめろ」とは言わないのが井深さん。CDの開発が成功した時には「反対して悪かったな」と井深さんからしんみりと言われたことがあったよ。 自分に非があったと分かれば、きちんとそれを認める器の大きさが井深さんにはあった。自分のメンツを重視してずっと反対し続けて、製品化した後でも有望な事業をつぶした経営トップとは、やはり違うよ。
井深さんの思い出で、最も強烈だったことがある。日付と時間まで覚えているよ。それは忘れもしない、米国時間の1997年12月18日のことだった。
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