「ソニーには、混沌とした秩序があった」

発売から15年以上が経過する今でもファンがいて、まだAIBOを使い続けているユーザーもいます。そんなに愛されていた製品なのに、撤退するという選択は、井深(大、ソニー創業者)さんや盛田(昭夫、ソニー創業者)さんが健在であればしなかったのではないでしょうか。

土井:「ソニーには、混沌とした秩序があった」と江崎玲於奈(かつてソニーに在籍していたノーベル物理学賞受賞者)さんが言っている。

 混沌とした秩序が、現場の活力を生む「フロー経営」と私が呼んでいる状態にあったということ。それが過去のソニーにおける躍進の全てだった。創業以来、混沌とした秩序の中でソニーのフロー経営が続いていた。

 「フロー」という言葉は米国の心理学者、ミハイ・チクセントミハイ氏が提唱した概念なんだ。「フロー」の状態に人間が入ると、その時に手掛けている作業に完全に没頭して作業がはかどる精神状況になる。会社の現場が、仕事がおもしろくて夢中になっている社員があふれているのが「フロー経営」。まさに創業期のソニーの開発現場はこんな状況だったんだ。

 我々エンジニアはソニーの開発現場がフロー経営の状態にあることが当たり前だった。この状態を江崎さんなりの解釈で、「混沌とした秩序」と表現したんだと思う。

 エンジニアが夢中になって新しいことに挑戦する。そういうエンジニアを大切にして、創業期のソニーは伸びてきた。今だから言えるけど、ソニーの経営はものすごく先進的だった。米国の合理主義経営の先を行っていた。

 だけど1995年に出井さんが社長になって、「欧米に比べて遅れている」と勘違いして、米国型の合理的経営と言われるものを無理やり導入した。それでソニー創業期の躍進の原動力となっていたフロー経営を見事に破壊してしまったんだな。

 この20年以上、革新的な製品やサービスがソニーから出てこないのはそういうことだよ。出井さん時代にやってしまったことの後遺症から、まだ立ち直れていない。

 混沌とした秩序があったフロー経営から管理型経営になってしまった。富士通も一時期、同じこと起こっていたよね。

「フロー経営とは信頼の経営」

ソニーはもう一度、創業期のフロー経営の状態を取り戻せますか。

土井:フロー経営が当たり前だったあの頃のソニーにもう一度戻るのは難しいと思う。今のソニーを支えているのは、1995年以降に入った人材ばかり。フロー経営時代を体験している人はほとんどいないよね。

 フロー経営とは何か。それは理性で分かっても仕方なくて、体で覚えるしかない。それは、管理ではなく現場の人材に任せるという信頼の経営なんだ。ソニーの創業者世代は、これを当たり前のように実践していた。だから現場も体で覚えていった。でもそんな人材は世代が変わって、もういないよ。

 井深さんは、次々に新しいことをやろうという意識で、おもしろい仕事にエンジニアを自由に挑戦させていた。新しい製品を作ってヒットしても、そこで満足しないで、「次は何をやるんだ」って現場を鼓舞し続けていたんだ。

 これは、「もっとおもしろいことをやりたい」「もっと世の中が驚くモノを作りたい」という、心の底からそれをやりたいと思う「内発的動機」を、社員に起こさせるマネジメント手法だったんだ。

 井深さんの口癖は「仕事の報酬は仕事だ」だった。難しい仕事に挑戦して成功すると、もっと面白い新しい仕事を任せる、という意味だよ。報酬や地位で人を釣るんじゃなくて、仕事そのものに喜びを見出させる。これが「フロー経営」の極意だ。

 だけど出井さんが導入したのは成果主義でしょ。これは、金銭や地位で人を動かそうとする「外発的動機」を重視したものだよ。内面からやる気を起こさせるマネジメントをしていたソニーは、成果主義の導入で自らの強みだったフロー経営を破壊してしまった。

 フロー経営を破壊したのは、米国型の合理主義経営。これを拙速に入れてしまったことが始まりだね。米国では給与水準や待遇で社員がすぐ転職してしまうけど、今も日本人はそうではない。

 報酬ももちろん大事だけど、今の仕事のやりがいを重視したり、愛社精神を重視したり。誰かのために働きたいと考えることもあるし、決してお金だけで動かないよね。

(3回目に続く)