「出井さんはQRIOの商品化も止めた」

土井:出井さんはその頃、外部の三流コンサルタントのレポートを鵜呑みにして、全社の事業を急いでネットワーク時代に対応させようと必死になっていた。だから、ロボット事業には反対し続けていたんだ。

 その頃はまだ、出井さんは“カリスマ経営者”とメディアで祭り上げられていた時期でもあったから、世の中ではAIBOが熱狂的に受け入れられて、社会的な現象になっていたにもかかわらず、ソニー社内では出井さんに同調していた人が多かったね。AIBOの宣伝で尽力してくれた河野(透、ソニーのコーポレートADセンター長などを歴任)さんみたいな、男気のある事務方の人は少なくなっていたな。

 そんな状況でも僕はQRIOの開発を続けていたんだけど、商品化の直前に、また出井さんからストップがかかる事態になったんだ。

商品化が見送られたソニーのQRIO(写真:ロイター/アフロ)

 AIBOに続き、宣伝部門の河野さんもQRIOを応援してくれていて、QRIOという名前も彼が考えてくれたくらいだった。だけど経営トップの意向に反することをしていたもんだから、河野さんも結局、現場から外されちゃった。

 なぜあの時、出井さんがQRIOをやめろと言ったのか。それには、ネット対応を重視してロボット事業そのものに反対していた以外にも、理由があったんだ。

 QRIOの商品化が見えてきたのは2003年頃で、ちょうどソニーショック(2003年4月)の直前だった。足元のビジネスが想定通りに進んでいないことには気づいていて、出井さんは何とか挽回しないといけないと焦り始めていた。

クオリアが失敗する必然

土井:そこで出井さんの肝入りで立ち上げたのが、「QUALIA(クオリア)」と呼ぶ、高級品ブランドを作るプロジェクトだったんだ。少量生産の高価格帯の製品ブランドを新しく作ろうとしたんだね。

 けどね、モノ作りのことを分かっている人ならすぐに気が付くんだけれど、家電分野で少量生産の高価格帯製品を作るのはものすごく難しい。今なら、3Dプリンターなどを活用して、低コストで小ロット生産できる技術ができてきて、まだやりようはある。

 だけど、その頃は無理だった。エンジニアからすると、少量生産だとまず金型の採算がとれないからね。高級感を持たせる金型はとんでもなく高価になるし、それを少量生産の製品で償却しようとすれば悲惨なことになるのは目に見えている。

 なのに、出井さんはクオリアでソニーのエレクトロニクス事業をテコ入れして、挽回しようとしていたんだ。そんな状況のなかで、「2003年4月7日」にプレス発表しようと準備し始めていたのが、QRIOだった。

ずいぶんと具体的に発表日を決めていたんですね。

土井:この日は何の日か知ってるかな?