Tシャツ、ジーパンで取締役会に参加?
大曽根:大賀さんが社長を退いた後、もう四半世紀近く、ソニーは長く低迷している。2015年度は3年ぶりの最終黒字を達成したけれど、これをいつまで続けられるのか、今の経営陣も取締役も見通せてないと思うよ。一時的に業績は良くなっているけれど、全く安心できる状況にはないと思う。
ソニーはエレキ事業に注力し続けていてもよかったと思えるのに、映画や音楽というエンタメ事業や、生命保険などの金融事業といった、モノ作りから離れた分野に多角化していきました。これはなぜでしょうか。
大曽根:映画や音楽、金融と、業容を広げていったのは盛田(昭夫、ソニー創業者)さんのアイデアだね。当時も今も、メーカーとしては異例の多角化だったと思う。
金融分野に進出したのは、盛田さんが「銀行に頭を下げてばかりいられないから、いつかはソニーグループで金融事業を持ちたい」と、しきりに言っていたことが始まりだよ。井深(大、ソニー創業者)さんは生粋の技術者だからやりたいことは一つ。ハードウエアの分野で次々と新しいモノを作りたかったんだと思う。
盛田さんは井深さんとは違って興味の範囲が広かった。だから、映画や音楽といったエンタメ分野や金融分野といった、経営の多角化を進めたんだろうね。
音楽会社や映画会社を買収した後、役員会などの会議がソニーの本社で開かれるようになったわけ。そうすると米国から、米ソニー・ミュージックエンタテインメントや、米ソニー・ピクチャーズエンタテインメントの幹部連中が東京に来るようになった。これが結構なカルチャーショックでね。みんなTシャツにジーパンで、靴下もはかないでスニーカーだったりして。そんな恰好でソニーの本社に来るわけだよ。
スーツを来ているソニー本社の連中はみんな、びっくりしちゃって。「この世のもんじゃないな」みたいな目で彼らを見てた。「こういう連中がソニーグループに入って来ちゃうのかよ」、なんて言う人もいたよ。
会議に参加する人の格好からして全く違って、異様な感じがプンプン。モノ作り一筋だった我々とは世界が違うんだなという感じが出ていたよ。
だから、向こうに任せっきりで野放しになっていた部分はあるんだろうけど。米ソニー・ピクチャーズでは経営トップの2人が、しこたま会社のカネを使いこんでいる時期があったよね。大賀さんが米国に行って、ハリウッドの世界で「これは使える」と見込んだ人材を採用して経営陣に迎え入れたりしたわけだけれど、やはり言葉も文化も違う世界だし、ソニーはまだエンタメ業界のマネジメントもしたことがなかった。どういうタイプの人間がこの業界で信頼してビジネスを任せられるのか、それを見極める力が足りなかったのかもしれない。
音楽や映画の世界は、ちょっと異質だったよね。盛田さんは、ハード製品を売るためにソフト事業を強化するという位置づけにして、エレキ事業と全く関係ないわけじゃないから、という意図で買収をしたんだろうけれど。未知の事業で外国の企業でもある。人脈も知見も少ない状態で新しい分野に参入するのはリスクが多かったということだろう。
「プレステはソニー本体と距離があったから自由に作れた」
エレキ事業とエンタメ事業の間にあるような、ゲーム事業への参入については当時、大曽根さんはどのような意見だったのでしょうか。
大曽根:私が副社長をしていた時、プレステ(プレイステーション、日本では1994年に発売)を久夛良木(健、ソニー・コンピュータエンタテインメント社長やソニーの副社長などを歴任)が出すっていうんで、「ソニーはおもちゃ会社じゃないんだから、ゲームの機械にソニーの名前を付けちゃだめだ」と私が意見したんだよね。
そうすると大賀さんも、「それはそうだな」と同調してくれて。だからプレステは、「SONY」という名称が入っていないでしょ。今でもソニーの製品というより、「プレステ」として認知されている。それで良かったんだよ。
そういう経緯があるから、あえてソニー本体ではやらなかった。ソニーの完全子会社でもなく、ソニー・ミュージックエンタテインメントとソニーの共同出資会社になったわけだよ。
それなのに我々が引退した後で、今度はプレステが金のなる木に化けて、本体の事業より利益が出るようになってきたからということで、ソニーの完全子会社にしちゃった。ゲーム事業はソニー本体から少し離れて自由にやれるよう、あえてソニー・ミュージックとの共同出資にして遠ざけていたから、しがらみなく成長できたんだよ。
それなのに、カネに目がくらんで、本体に近づけようとして完全子会社にしちゃった。あの資本政策も、私は非常に違和感があったの。それぞれの会社の成り立ちには意味があるんだよ。深い考えがあるわけではなく、その会社が稼いでいるおカネが欲しいからといって、安易にその方針を変えてしまうというのは、よくなかったよね。
任天堂がゲーム機開発を依頼?
当時、ゲーム事業への参入について、ソニー本体では反対派が多かったと聞きました。
大曽根:私は別にゲーム事業の参入に反対していたわけではないよ。参入しても、製品にソニーの名前を入れないように、と考えていただけで。
後のプレステにつながるゲーム機は元々、任天堂に頼まれて開発していたんだ。それなのに任天堂が「やっぱりいらない」と言いだしたのが発端だよね。そのうえ、「これまでの開発費も払わない」と言われちゃった。そんな理不尽なことあるかということで、「よし。じゃあ自分たちでやろう」ということになったんだ。もう売り言葉に買い言葉で、久夛良木と大賀さんが話をしてやることになった、という経緯があるから。そしてプレステが生まれた。
経緯はどうあれ、あの時、ゲーム機に参入したのは正解だった。当時、ゲーム機では任天堂が唯一、飛び抜けた存在だったよね。そういう状況では、ゲームのソフトを作る会社の大部分は任天堂の言いなりになるしかない。みんな忌々しいと思いつつも、圧倒的に強い立場の任天堂の言うことを聞くほかなかった。
そういうところに、新勢力が入って見込みがありそうとなったら、みんながダーっとなびいてくるよね。ソニーがゲーム事業に入るとなったら、ソフト会社とはいい関係が作れるだろうと私は思ったよ。ソニーは音楽や映画事業も持っていて、コンテンツの重要性を理解する人材がグループ会社にいることも分かっていたからね。
売り言葉に買い言葉で決めた事業だったけれど、冷静に考えても、任天堂と戦える余地はあるなと感じていたよ。
ソニー復活のカギを握る有能な“不良社員”
しかし、プレステ後は斬新なヒット商品が生まれていません。今後、ソニーはかつてのようなヒット商品を生み出す会社に復活できるのでしょうか。
大曽根:まだソニーは大丈夫。建て直せる余地はあるよ。本来はものすごく豊かな発想で、アイデアをたくさん持っているエンジニアがいるはずなのに、管理屋に経営を牛耳られて不良社員化しているだけだから。リストラで抜けた人もいるけれど、不良社員化して社内に残っている人もいるはず。
そういう人たちは、成果報酬や業務の効率化で自由な開発ができなくなって、息苦しくなって、やる気を失っているだけなんだ。こうした人材が辞めてしまう前に、どうにかしてまた、やる気を起こさせることが重要だろうね。“有能な不良社員”をいつまでも社内で腐らせておくのはもったない。それがソニーを復活させるカギだろう。
ゼロを1にする人と、1を100にする人は別モノなんだ。そこそこ優秀な技術者なら、1を100にすることができるかもしれない。けれどゼロの状態を1にできる人はなかなかいない。そういう人はこだわりが強くて、奇人変人と呼ばれる類の人かもしれない。そんな人材をマネジメントできないと、新しいモノやおもしろいモノは生み出せないよね。
茶坊主の下には茶坊主しか集まらない
大曽根:ソニーの経営陣が、何とか、そういった人材をマネジメントできるようになってほしい。そのためには技術の先読みができる経営陣でないと難しいだろうね。トップが技術を理解できないなら、右腕に技術系の人材を据えて、補えるようにするとか。
有能な不良社員をやる気にさせるには、技術的な目利きが重要になる。その目利きはやはり社内の人がやるべきだ。社外取締役がいかに優秀でも、ソニーグループのどの技術者が有能かなんて分からない。だからそういう人を抜擢して、上に引き上げられない。
こうやって経営の課題を解決できれば、ソニーが復活できる「芽」が社内で出てくるはず。異能のリーダーの下に異能の人材が寄ってくるんだ。逆に、茶坊主の下には茶坊主しか集まらないんだよ。
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