戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。
連載3回目は、初代ウォークマンを開発した伝説の技術者、大曽根幸三氏。ソニー創業者の井深大や盛田昭夫と直接やり取りしながら進めたウォークマン開発の秘話や、なぜソニーを始めとする日本の電機産業が新しいモノを生みだせなくなったのかを、3日連続で語る。今回はその前編。
聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。

1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業後、ミランダカメラに入社。61年にソニー入社。一貫してオーディオ分野を担当し続け、カセットテープからMDまで、一連のウォークマンシリーズの開発を手掛けた。89年に常務、90年に専務、94~96年まで副社長。2000年にアイワ会長へ就任。2002年にアイワ会長を退任した。(撮影:北山 宏一)
大曽根さんと言えば、いまだにソニーの代名詞ともなっている初代ウォークマン(1979年に発売)の開発者として有名です。そこでまずは、ウォークマンがどのような経緯で開発されたのか、伺えますか。
大曽根氏(以下、大曽根):昔のソニーは、市場調査なんてものをあまり重視しなかった。だからこそ斬新な製品を生み出せたんだよ。「まだ世の中にないものなんだから、消費者に聞いて調査をしても、欲しいものが出てくるわけがない」っていう考え方だった。
初代ウォークマンを作り始める時もそうだったな。
そもそもは井深(大、ソニー創業者)さんが海外出張に行く際に、飛行機の中で自由に音楽を聞きたいということで、「何かおもしろいものはないか?」と、当時テープレコーダーを作っていた私の部署に、ふらりと来たことがきっかけだったんだ。
私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに乗るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。
それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ。
「やりたいことは上司に隠れてやれ」
大曽根:井深さんは喜んでくれてね。海外出張から戻って来たら、「あれ、よかったよ」って言ってくれた。
なのにさ、私の直属の上司は、「そんな録音機能もないものを作ってどうすんだ」と反対したんだ。だから最初は大変だった。大賀(典雄、元ソニー社長)さんも直属の上司と同じ意見でさ、「録音機能がないと売れない」と言っていたんだよ。だけど、このあと、たまたま大賀さんが長期入院してしまったんだな。
私にとってみれば、大賀さんを飛び越して、井深さんや盛田(昭夫、ソニー創業者)さんと直接交渉する隙が生まれた(笑)。もともと応援してくれていた井深さんと盛田さんを味方に付けて、「(大賀さんが入院していると見込まれる)3カ月間で作っちゃえ」となったんだ。
大曽根語録の一つとして聞いたことがありますが、「やりたいことは上司に隠れてやれ」を、初代ウォークマン開発で実践していたんですね。
大曽根:井深さんや盛田さんがバックアップしてくれたから、初代ウォークマンは生み出せた。まだコンセプトやプロトタイプしかなかったのに、それについて聞いたり、見たりしただけで、その商品のすごさというか本質を見抜いたのが、井深さんと盛田さんの2人だった。
そうやって、この世にウォークマンが生まれたんだよ。
ウォークマンのコンセプトを披露した時に井深さんが言ったのは、「音楽は空気振動だから、できるだけ鼓膜に近いところで音を出した方がいい。出力をアップさせた据え置きのオーディオより、この方が迫力のある音で聞けそうだな」ということ。これはハード面の観点からウォークマンのすごさを理解したコメントだと思う。
一方で盛田さんは、「今の若者は寝ても覚めても音楽を聞きたがる。これは売れるぞ」というようなことを言っていた。これはソフト面からウォークマンのすごさを見抜いたコメントだよね。

2人とも技術者出身で技術を理解するからこそ、それがもたらすインパクトを、コンセプトを聞いた段階で先読みできたんだ。ウォークマンのハード面とソフト面のすごさを、それぞれ最初に言い当てたということだ。まだ見たこともない製品の話なのに、そういう意見をすぐに言えるっていうのは驚きだよね。
私は、売れそうだからと思うだけでなくて、自分が欲しいものをいろいろ作ってきただけなんだ。最初は仕事の合間に、密かに新製品の構想を考えていて、空き時間を使って、それを試作していたんだ。まるで「どぶろく」のようなもの。お上に隠れてこっそり作る密造酒みたいなもんだよね。
「かつては奇人変人の発想でもすぐに理解された」
米グーグルなど、現代の先進テクノロジー企業では、「業務時間の一部を自分の好きな技術開発のために使ってもいい」という就業規定があるそうです。会社公認かどうかは別ですが、隠れてそういうことができる環境が、当時のソニーにはあったということですね。
大曽根:何でも新しいものは、最初はマイノリティーの人たちが考え出すんだよ。誰もが思いつくものではないからね。
最初は少数人にしか理解されないくらい斬新でとがっているアイデアだから、当たり前だよね。1人か2人くらいの変わり者が、新しいものを生み出すんだよ。だからこそ異才とか、変人と呼ばれる人たちが重要なんだよね。
昔のソニーがすごかったのは、そういうごく少数派の奇人変人が、思いついたアイデアをもとに密かに試作した機器を見て、そのすごさをすぐに理解できる経営トップがいたということだ。だから仮に直属の上司が反対したとしても、話の分かる人がその上にいれば、チームでサポートしてもらえるようになって、世に製品を出すことができた。
これはさ、現場のすり合わせや、チームでアイデアを実現していくという、組織力が強い日本企業ならではだよね。外資系企業だと、「これは元々、俺のアイデアだ」とかさ、成果を取り合っちゃうから。こうはならないよ。
ソニーだけじゃなくて、ほかの日本企業にもこういう古き良き日本のよさがあった時代だと思う。いいアイデアを出す人がいたら、それをうまくチームで育てて、みんなでハッピーになろうという発想だよ。それに必要なのは、上に立つリーダーが、粗削りなアイデアをすぐ理解して、胆力を持って時間をかけて見守りながら、大事に育てていこうとする行為だよ。
斬新なアイデアは誰にまず披露すべきか
大曽根:ウォークマン開発で参考にすべき最大のポイントは、「斬新なアイデアを、誰にまず披露して、バックアップしてもらえるようにするべきか」という部分だろうね。そういう目利きができる人に最初に話をもっていかないと、いくらおもしろいアイデアでも、理解されずにつぶされてしまう危険性があるからさ。
伝説の技術者としてだけでなく、数々の名スローガンや語録を打ち出して部下をやる気にさせるという、大曽根さんのマネジメント手腕も有名です。だからこそ最後は、ソニーの副社長になった。
大曽根:大賀さんの社長時代に、我々は副社長として彼を支えていた。そんな経営体制だったな。でも私は元々、「役員になることさえ勘弁」という感じだったんだ。モノづくりが好きだから、現場に近いところにずっといたかったんだ。
実際に大賀さんにはそのように伝えていた。なのに大賀さんは、「いろんな製品でソニーを市場シェアトップにしてくれた。会社にこれだけ貢献してくれたので、そういうわけにはいかない」なんて言ってさ。結局、最後は副社長にされちゃった(笑)。
確かに副社長になるまでに、いろんな事業を担当して、多様な製品を作ったよね。マネジメントをやるようになってからの仕事で特に印象に残っているのは、テープレコーダーの部門で事業部長をやっていた時のことかな。
いきなり、「テープレコーダーだけじゃなくて、ハイファイ(高音質なハイファイ・オーディオ機器のこと)も担当して、テコ入れしてくれ」なんて言われちゃって。それまで、自分が担当してきたソニーの製品は、ウォークマンをはじめとしてどれもシェア1位ばかりで、「シェア2位以下」の製品なんて担当したことなかったの。だからビックリしちゃった。
当時のソニーのハイファイ製品のシェアは6位くらい。「シェア1位以外の製品の市場のことなんて、俺は分からねーよ」なんて言って断ろうとしていたんだけど。逆に、「じゃあ、ぜひ1位にしてほしい。来年からこの事業でも責任者をやってくれ」なんて言い返されて、引き受けざるを得なくなっちゃった。
そのころのハイファイ製品市場は、パイオニアやケンウッド(現JVCケンウッド)がトップ層にいたんだ。けれど市場調査によれば、ハイファイ分野では15%の市場シェアを取れば国内1位になれると分かった。
だから部下には、「15%の市場シェアを目指してがんばろうぜ」って発破をかけた。ただ、掛け声だけじゃつまらないからスローガンっぽくして、「15だからイチゴー。イチゴープロジェクトと名付ける」って宣言して、ハイファイのシステムコンポを正月くらいからソニーが出して頑張ったら、シェア6位だったのに1年間でシェアトップになっちゃった。
それでも勢いは止まらなくて。シェアは20%を超えて、最終的にはシェア30%くらいになったんだよね。当時のソニーってさ、現場の技術者を本気にさせると、こんなすごいことができた。そんな勢いがあったんだよね。
なぜシェア6位の負け組が1位に?
それにしてもハイファイの分野でシェア6位だったソニーが、いきなり1年間でシェア1位になれた。なぜでしょう。
大曽根:なぜ一気にシェアを伸ばせたのかというと、徹底的にユーザーに使いやすいハイファイを新しく作ったからだよ。当時の他社製のハイファイは、箱から出した後、アンプやスピーカーなどのモジュールを自分で配線してつながないと機能しなかったんだ。
でもさ、音響機器の配線なんて音楽マニアじゃないと分からないから。私は現場の技術者と議論しながら、ここに勝機があると思ったんだよね。アンプやスピーカーなどが他社製のようにモジュールごとに分離しているデザインだけど、実際には配線が最初からつながっていて、箱から出したらすぐに音楽が聞けるハイファイを作ったんだ。
つまり、ハイファイ製品なんて全く使ったことがない音楽の初心者や若い人が、すぐに使える製品を開発して発売した。それでぐんと対象ユーザーが増えたんだよ。新しい顧客層を創出したとも言えるな。
あの頃の日本の若者はちょうど、音楽が空気や水みたいになり始めていた。試験勉強も音楽を聞きながらやっている若者が出てきた頃だからね。私はそういう世相に敏感な盛田さんの意見を聞きながらウォークマンを開発した経験がある。だから、どれだけ日本人がいい音楽を手軽に聞きたがっているのか、よく分かっていたんだ。
若者だけじゃなくてさ。女性も新しいハイファイユーザーとして台頭してきた時代だったんだな。当時は女性も外で働くことが普通になり始めていた時代でさ。彼女らも通勤や仕事に疲れて帰ってきた後、寝る前に自分の部屋で好きな音楽を、できるだけいい音で聞きたいと思っていたんだよ。だからソニーが新たに出した、配線作業が全く必要ない初心者向けのハイファイは、女性でも使いやすいからすごい勢いで売れたんだ。
赤字事業を「百獣の王プロジェクト」で挽回
マネジメント経験としては、オーディオ分野だけではなく、テープ事業も担当していましたよね。なぜテープ事業まで任されたのでしょう。
大曽根:ハイファイでそんな実績があったものだから、その後、赤字事業の立て直しを頼まれるようになっちゃったってことだ。ソニーの役員としては、技術面を主に担当していて、中でもオーディオ関連の事業全般をカバーしていたんだけれど。ある時、「赤字のテープ事業を何とかテコ入れしてくれ」とまた無茶な要望が来たんだよね。
仙台市周辺の工場で生産していたソニーのテープ製品は、伝統的に強くて、利益率も高かった。だけど、ある年に100億円以上の赤字を出しちゃった。それは何十年ぶりかの出来事だったわけで、もう異常事態。だからハイファイのシェアを上げた手腕を使って「テープ事業の立て直しもやってくれ」と、また大賀さんに頼まれちゃった。
私は主にオーディオ関連の事業を担当してきたから、「大賀さん、俺はオーディオが専門なんだ。“再建屋”としてソニーにいるんじゃないよ」と最初は断った。だけど「役員なんだから、そのくらいやれ」と説き伏せられて(笑)。
未経験のテープ事業を担当して、赤字解消のためのプロジェクトを立ち上げたんだ。ちょうど110億円くらいの赤字だったから、これを解消するために、「110(ひゃくじゅう)」という数字の読み方にかけて、「百獣の王プロジェクト」って名付けたんだよね。
そしたらみんな頑張っちゃって、翌年には100億円以上の黒字になった。つまり200億円以上の利益改善をしたことになる。私が責任者について、「百獣の王プロジェクトで赤字を解消するぞ」と発破をかけ続けた結果が、これだった。
現場のメンバーは大きく変えてないのに、責任者が変わって、明確な目標を出したらこうなった。これは強烈な経験だったよね。いかにリーダーというか、“大将”の言葉が重要かって思い知ったよ。
この話はここで終わらなくて。110億円もあったテープ事業の赤字が解消できた翌年は、「百獣の王プロジェクトの2年目は、“ライオン2頭分”を目指すんだ」と言って、私が責任者になってから1年目に達成した水準の2倍となる利益目標を設定したんだ。そしたら本当に2年目は220億円の利益が出ちゃった。これには私もビックリしたよ。
端的かつ分かりやすい目標で人を動かす
「端的かつ分かりやすい」というのが、大曽根語録の真骨頂ですよね。そういう実体験から、人や組織を動かす言葉がどんどんと磨かれていったんですね。
大曽根:こういう分かりやすい目標って重要なんだよ。ハイファイの時は15%の市場シェアを取るために、数字の読みにかけて「イチゴープロジェクト」を立ち上げたと言ったでしょ。110億円の赤字解消だから「百獣の王プロジェクト」と名付けたのも同じ発想だよ。
まずはこの数字が当面のゴールだということを、みんなに意識させたかったんだ。もちろん言葉だけでなく、見えるモノを作って意識合わせすることも重要だと、これらのプロジェクトを通じて学んだんだ。プロジェクトメンバーには専用バッジまで作ってね。それを部署のメンバーが胸に付けて頑張ったんだ。
ほかの事業部の人から見れば全く意味の分からないバッジだったと思うんだ。だけどメンバーが社員食堂に行くと、「何を胸に付けてるの? かわいいねー」なんて、ほかの事業部の女性社員に話かけられたりするわけ。そうするとさ、男のプロジェクトメンバーが、なんか誇らしい気分になって喜んじゃって、もっとやる気になったんだよ。人間だからそういうのって嬉しいよね。
考えてもみてよ。シェア6位の状況から、はるか上のシェア1位になれる15%の市場シェアを取らなきゃいけない。そのプレッシャーはみんな大変だったと思う。だからこそ私は、「イチゴープロジェクト」みたいな掛け声や、バッジを作るといった遊び心が必要だと思ったんだ。
「おもしろくなきゃ仕事じゃない」
大曽根:私は「仕事には遊び心が必要」という思想を持っているんだ。仕事が楽しくなれば、多少はつらくても頑張ろうって気になるし、やれることは何でも徹底的に追求したいという粘りも出てくる。社員食堂で、見知らぬ女性社員から「バッジがかわいい」と言われれば、男だったら悪い気分にはならない(笑)。多少はよこしまな動機付けだけど、こういう遊びもつらい仕事には必要だよね。
ここで言いたいのは、どんなにつらい時でも、そういう遊び心を持てる余裕を持つことが、新しい革新的なアイデアや創造的なものを生む原動力になるということなんだ。「おもしろくなきゃ仕事じゃない」と、みんなに分かってほしかったし、その思いが部下に通じたから、ハイファイやテープ事業の無茶なプロジェクトは成功した。
実際に、荒唐無稽と思えるようなシェア向上や赤字解消というのは、本当につらい仕事だった。だけど現場のメンバーに悲壮感は全くなくて、楽しく仕事をして目標を達成できた。
「管理をするばかりが能じゃない」
近年のソニーはリストラ続きで、そんな遊び心を持てるプロジェクトはなかったのかもしれませんし、「遊び心を持て」と部下を鼓舞できる上司もいなくなったのかもしれません。
大曽根:たとえコスト削減が必須な仕事でも、管理をするばかりじゃ能がない。ある程度の自由度を現場に与え、遊び心を忘れないようにして次への希望を生み出すことが重要なんだよ。
そうしないと新しい発想の逆転劇なんて出てこないから。必要なのは、「やってみないと分からない」という精神。失敗をとがめるやり方じゃ誰も挑戦しなくなるから、あえて私はそうやってきた。若い人に対しては、特に失敗をとがめたりしないで、私心を含まずに評価してあげれば、失敗しても何度でも立ち上がって挑戦してくれるよ。
むしろ失敗したからこそ次に生かせる部分が出てくる。実際に、苦境に見舞われていた時期のハイファイやテープの事業でも、現場の雰囲気は暗くなくて、チャレンジしやすい環境だったというのは、さっき言ったよね。そういう雰囲気を作っておくと、「こんなもの作ってみたい」「こんなことやってみたい」というアイデアが現場から自発的に出てくるようになる。
気を付けなきゃいけないのは、若手からそういうあら削りのアイデア出てきても、弁舌さわやかに斬新なアイデアを潰そうとする管理職がいるってことだ。だから私は、潰そうという意図が感じられる意見を言う幹部には、「もっと前向きな質問をしろ」と指導していたね。
例えばさ、新しいアイデアを出した若手に対して、「それはいいアイデアだが、一体誰がやるのか」とか、「心意気はいいけどさ、失敗したら君は責任取れるのか」みたいな意見ね。そういう非生産的なことを最初から言う上司って、昔も今もいるでしょ。
だから私は、会議でそんな意見を聞くたびに、「そういう質問はやめろ!」と一喝した。部門の大将がそういうこと言うと、その下のグループレベルのリーダーでもその方針が徹底されるから。やはり、統括する大将の言うことって大事なんだよ。
“管理屋”が跋扈する今のソニー
今のソニーの大将である平井(一夫、現ソニー社長兼CEO)さんが率いるソニーは、大曽根さんからはどう見えていますか。
大曽根:ずいぶんとソニーも変わっちゃったよね。みんな、やけに失敗を恐れるんだよ。それぞれの事業を担当する大将がそうなっちゃっているから、下の幹部も若手もみんな、及び腰になっちゃう。管理屋が跋扈しているから、こうなったんだろね。
おもしろいスローガンを作って盛り上げるとか、遊び心を大事にするとか、そういうのが全くなくなった。
数字で管理されてばかり。それはそれで大事だけれど、成果主義や結果主義が行き過ぎると、人間のモチベーションは落ちて自由な発想なんてできないし、長いプロセスを経ても作りたいという思いも薄れて、新しいものが出てこなくなるのは当たり前だよ。
荒削りのアイデアでも、技術が分かる専門家ならピンときて、「これはいけそうだ」と分かる。今のソニーにはそういう人がいないから、ヒット商品がずっと出なくて、二番煎じみたいな製品ばかりが増えてしまった。
井深さんに言われた「次は何を作ろうか」
大曽根:私はソニーに中途入社して以降、井深さんや盛田さんの近くにいたので、現場に腹落ちする言葉を使って話をする重要性を理解していた。現場の技術者のモチベーションをいかに盛り上げるかという大切さがよく分かったからさ。井深さんはよく、モノ作りの現場に来てさ、「次は何を作ろうか」っていうのが口癖だったね。この言葉が、一兵卒の技術者としては嬉しくてさ。
井深さんは、俺のところに来ると「次は何やろうか」ってそればっかり。新製品ができたのでほめてくれるのかと思ったら、「それはもういいから、さあ次は何だ」ってね。「次々に新しいことをやろうぜ」っていう雰囲気ができてないと、現場もそういう意識にはならない。そうじゃないと革新的なものが出てこないよね。新しいものを作るのがメーカーなんだから、やはり、そういうトップが必要なんだろな。
しかも何が革新的なのかを、井深さんや盛田さんが自ら考えて言ってくれていたし、現場からのアイデアも遊び心を大事にして聞いてくれた。トップと現場の技術者が互いに刺激を受けながら新しいものを生み出すことの大事さを、井深さんと盛田さんは次の世代の指導者のために、あえて見せようとしていたんじゃないかな。
そうやって、次世代のリーダーを育てようとしていたんだろうね。実際に私は2人の姿を見て感化された。だから私も同じことを次の世代にしてあげたいと思ったし、してきたつもりだ。
「大事なのは“社風”じゃなくて“社長風”」
なのになぜ、ソニーは変わってしまったのでしょうか。
大曽根:本当に残念なことで、これに抗うのは難しいんだけど、どうしても会社や組織が大きくなってしまうと、「和」を保ちたがる人が多くなるんだ。異端や斬新なアイデアを、管理が得意な人が潰していく。
最初から「利益率がどうこう」という話ばかりをして、いくら先行投資をしても時間がかかっても、おもしろいものを作ろうという発想がなくなっていく。そんな状態では、斬新なものやおもしろいものは何も作れないよ。
そうならないような雰囲気づくりは、井深さんと盛田さんの2人に感化され続けてきたから、私はそれが当たり前だと思ってきた。だけど時代が変わって組織が肥大化して、変化してしまったのかもしれない。
つくづく思うのはさ、「ソニーには、自由闊達な社風がある」と言われ続けてきたけど、実は“社風”なんてものはこの世に存在しない、ということなんだよ。
あるとすれば、“社長風(しゃちょうふう)”。
社長の考え方をいかに周りの幹部や社員たちに伝えて、感化させていけるのかということが組織の行く末を決めるんだ。それが今も社風という言葉で言われるけど、突き詰めると会社の社風ではなく、それは社長の生き方や考え方なんだ。
だから私は「社風」とは言わず、「社長風」と言っている。社風じゃなくて社長風が大事なんだ。その証拠に、本当に社風という言い方が正しいなら、社長が変わっても会社の方針や雰囲気はずっと変わらないはずだろう。だけど実際は、社長が変わると会社の雰囲気が変わってしまう。
ソニーの歴史を見れば分かるでしょ。だから本当は、社長風が正しいんだ。
組織の上に立つ者の哲学や考え方、影響力がいかに甚大か。これは、自分がソニーをリタイアした後に冷静に振り返ると、本当に痛切に感じるんだ。
技術系経営者か、そうではないか
「社風じゃなくて、社長風」とは、さらりと名言を吐きますね。ではソニーの“社長風”が、従来と大きく変わった時期はいつだと考えていますか。
大曽根:出井(伸之、ソニーの会長兼CEOなど経営トップを歴任)さんが社長になって、会社の雰囲気がガラリと変わったよね。大賀さんは技術屋じゃないが、井深さんと盛田さんの薫陶を受けていて、技術の重要性を理解していた。何より、この技術がものになるかというセンスはあったよね。
ソニーがメーカーである以上、ビジネスのことに精通しているだけではダメで、テクノロジーが理解できないトップはダメだ。新しい技術に対峙した時に、その技術が使われるであろう、まだ見たことものない世界を想像するには、技術の先読みができないと不可能だから。
技術系が代々の社長をやるというのを今も守っているメーカーがホンダだよね。日立製作所も技術系出身者が歴代社長を務めて、それを守っている。メーカーにとって重要なことだと思うよ。
でも最近、ほかの自動車会社や電機メーカーでは経済学部や法学部など文系出身の社長が出てきているよね。東芝はその典型例だよ。ライバルだった日立と東芝で大きく差がついたのは、こういう部分も大きいのではないかな。
業績が過度に傾くと、技術出身の人材がトップに就任して経営再建するということが繰り返されている。金融やメディアなどの分野は別として、メーカーはトップが技術を理解できるかどうかが重要なんだ。新しい技術が出てきた時、どれに大きく投資するかがメーカーの経営判断では重要になる。だから新技術を起点に、まだ見ぬ将来像を自分で描けないと辛いでしょう。
「3年で利益の出る技術ならほかも真似する」
大曽根:今のソニーの稼ぎ頭の事業になっているイメージセンサーは、岩間(和夫、元ソニー社長)さんの時代から、すぐに利益が出ないのに投資をしっぱなしだったんだから。開発を始めた当時は、当然のごとく利益なんて出てないし、少なくとも10年以上は開発のための投資が必要と言われていたのに、それを続けた。
まさに技術の先読みができて、「いずれこの技術で儲けられる時代が来る」って確信ができなければ、こんな投資はできないよ。今はさ、短期志向の投資ファンドなどの株主から、「いつ、どんな、リターンがあるのか」とか言われて、技術が分からない経営トップが「選択と集中」とか言い訳して、3年くらいでやめちゃうだろうね。
でもさ、研究開発を始めて、たった3年で利益が出るような簡単な技術なら、どんな企業も真似するよ。そうじゃない技術の「芽」を見出して事業化しようとする目利きがあるからこそ、差別化ができるんだ。まさに昔のソニーは、ほかの企業なら踏み込まないような領域の技術開発に挑んで、必ず実用化する気概と忍耐力を持っていたんだ。
冷静に考えてみてよ。井深さんや盛田さんの時代には、トランジスタラジオやウォークマンが出てきて、岩間さんはイメージセンサーの走りを作った。そして大賀さんはCDなどを世に出した。だけど大賀さんの後のソニーの経営トップはみんな、歴史に残るような製品を何も出せてない。
技術が分からないトップが就任すると、こうなるってことだよ。
(中に続く)
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