戦後間もなく発足し、かつては世界に驚きを与え続けたソニーが、今も苦しみ続けている。業績は回復してきたものの、国内外で圧倒的なブランド力を築いた面影は、もはやない。日本人に希望をもたらしたソニーは、どこで道を誤ったのか。長くソニーの歩みを見た経営幹部が、今だからこそ話せる赤裸々なエピソードとともに、ソニーの絶頂と凋落を振り返る。あの時、ソニーはどうすべきだったのか。
連載3回目は、初代ウォークマンを開発した伝説の技術者、大曽根幸三氏。ソニー創業者の井深大や盛田昭夫と直接やり取りしながら進めたウォークマン開発の秘話や、なぜソニーを始めとする日本の電機産業が新しいモノを生みだせなくなったのかを、3日連続で語る。今回はその前編。
聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。

1933年生まれ。56年日本大学工学部卒業後、ミランダカメラに入社。61年にソニー入社。一貫してオーディオ分野を担当し続け、カセットテープからMDまで、一連のウォークマンシリーズの開発を手掛けた。89年に常務、90年に専務、94~96年まで副社長。2000年にアイワ会長へ就任。2002年にアイワ会長を退任した。(撮影:北山 宏一)
大曽根さんと言えば、いまだにソニーの代名詞ともなっている初代ウォークマン(1979年に発売)の開発者として有名です。そこでまずは、ウォークマンがどのような経緯で開発されたのか、伺えますか。
大曽根氏(以下、大曽根):昔のソニーは、市場調査なんてものをあまり重視しなかった。だからこそ斬新な製品を生み出せたんだよ。「まだ世の中にないものなんだから、消費者に聞いて調査をしても、欲しいものが出てくるわけがない」っていう考え方だった。
初代ウォークマンを作り始める時もそうだったな。
そもそもは井深(大、ソニー創業者)さんが海外出張に行く際に、飛行機の中で自由に音楽を聞きたいということで、「何かおもしろいものはないか?」と、当時テープレコーダーを作っていた私の部署に、ふらりと来たことがきっかけだったんだ。
私たちは現場で、既にソニーが発売していたモノラルタイプの小型テープレコーダーを、ステレオタイプに改造して遊んでいたんだよ。手のひらに乗るほど小さな機器だったんだけれど、ヘッドフォンにつなぐといい音が出せたんだよね。
それを井深さんに頼まれて、飛行機に持ち込めるような形にした試作品を作ったんだ。小さくしたままステレオ化するために、スピーカーと録音機能を外して、再生専用機にした。これが初代ウォークマンの試作機だよ。
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