「もっと早くに米映画会社の不振を進言すべきだった」

なぜ盛田さんや大賀さんは、米国で放漫経営をしていた現地経営陣を野放しにしていたのでしょか。

伊庭:もう有名な話だけど、映画事業の買収に高いカネを払っただけでなく、その後も放蕩を尽くした米国人に経営を任せっきりにしてしまったことで、ソニーの有利子負債が、売上高の半分近くに迫るほど巨額になってしまった。運よく、当時はまだエレキ事業の調子が良くて利益は出ていたので、すぐにソニーの経営が行き詰まるほどではなかったのは幸いだった。

 米国の映画会社の買収は当初、大賀さんにも躊躇があったようだ。しかし、「映画会社はソニーの将来のために必要」という盛田さんの思いが強かった。盛田さんとしては、経営できるという目算もあったんだろうね。それで話が進んだのではないか。

 私は本体のCFOをしていたし、その立場に就く前から米国の映画子会社の惨状は耳に入っていた。「この状況は良くない」ということを、米国のカウンターパートだったCFOが、本社に警告していたんだ。

 私も大賀さんに進言したけれど、大賀さんは「彼らを信頼して、任せよう。派手に見えるかもしれないけど、映画業界はそんなものなんだ」と言っていた。私は、それにしても度が過ぎると思っていた。

 大賀さんの経営哲学は、「新しい事業の経営は、選んだ経営者に全面的に任すべきだ」というもの。音楽会社のCBS・ソニーの経営で成功体験があったからだろうね。大賀さんは、ソニーのエレキ事業の人材を、CBS・ソニーに立ち入り禁止にするくらい、厳しく自主独立路線を敷いていたから。

 だけど、それほど自主性を重んじて、米国の映画会社の経営陣を信頼していたにも関わらず、出井さんが社長になると、映画会社の経営陣を入れ替える出井さんの提案に、大賀さんは同意したんだ。これは大賀さんが、出井さんを社長に指名した手前もあるからだろうな。

 ここは元CFOとして、後悔が残っている部分ではある。もっと早くに映画会社の経営の問題を強く進言すべきだった。

2兆円近い有利子負債にどう対処したのか

CFOとしては当時、多額の有利子負債に対して、具体的にはどのように対処したのでしょうか。

伊庭:当時のソニーの有利子負債は2兆円近く。実際にこの目でその数字を見ているから、CFOとして「どうにかしなきゃ」という強い思いがあった。ただ一気に解決できるものではないので、やれるところから対処を始めた。

 まずは財務キャッシュフロー管理の合理化から始めたよ。具体的には為替取引やキャッシュを一括管理して効率化する仕組み作りだ。例えばある子会社は、ドルの受け取りがあるのに、他の子会社にはドルの支払いがある。これを相殺できれば為替変動に強くなる。

 また子会社ごとに銀行取引のアンバランスがあって、ある会社はキャッシュが潤沢で銀行に預けている一方で、別の会社は銀行から借り入れをしていた。これも相殺できれば、効率よくキャッシュを管理できるわけだよね。

 グループ各社が個別に銀行と取引するのは効率が悪いので、本社で為替取引とキャッシュマネジメントの集中管理をするアイデアだった。後にロンドンに拠点を作り、そこで全世界のソニーグループ(金融部門は除く)の一元的な為替取引とキャッシュマネジメントをし始めたんだ。

 ただ、キャッシュを増やすには、当時は稼ぎ頭だったエレキ事業が頑張るしかなかった。そのエレキ事業の投資の規律が緩んでいたことも否めなかったので、エレキ事業での投資を厳選できる体制も整備したよ。エレキの事業計画の精度を上げつつ、想定を超える市場環境の大きな変化があったとしても、それに耐えられるような経営計画を作ることにも努めたつもりだ。

 事業計画は各事業部門で個別に作って、それらを連結させていたけれど、単純に各部門から上がる数字を連結させていたわけではないよ。部門ごとの事業にどのくらいのリスクがあるかという点まで踏み込んで分析し、その上で連結した数字を作って、リスクを織り込んだ業績予測を出すようにしていたんだ。

 当時は、着実にエレキ事業で利益を出せる事業環境にはあったのが幸いだったが、そこに過度に依存せず、業績見通しはいつも保守的に作るようにしていた。また、数字の管理だけでなく、自分の目で現場を見ることで、ビジネスのリスク分析にも注力した。

 1999年に私はCFOを退いたが、その後、ご存じの通り2003年にソニーショックが起こった。自分がやっていたことが引き継がれず、「ずっと足元の好調が続く」との希望的観測で事業計画の数字を作ったことが、見通しと現実の大きなかい離を生んだ一因なのではないか。

盛田氏と伊庭氏の出会い

ソニーOBには、井深(大、ソニー創業者)さんを信奉する人と、盛田さんを崇拝する人に大きく分かれます。伊庭さんは盛田さんに近く、敬愛している様子がよく分かります。そのきっかけはどのようなものだったのでしょうか。

伊庭:井深さんは技術が好きで、技術者は井深さんと接する機会が自然と多くなる。研究所や開発の現場にふらりと来て、「何をやっているのか」と、面識がない技術者でも話しかけて、技術談義に花を咲かせる感じだ。井深さんはそういうのが大好きだった。だから経営面のことは盛田さんに任せていた。

 私の最初の配属は特許関連の部署だった。当時は、技術の先進国であった米国から教わらなければならい時代で、米国の会社から特許侵害のクレームや特許侵害訴訟を起こされる。私がいたのは、そういうクレームや訴訟、契約に対応する部署だった。

 盛田さんや岩間さんは特許の重要性をよく理解されていて、自ら積極的に関わってこられた。そのような関係で、盛田さんなどを私がサポートすることになって接点が増えた。当時は、ソニーとして米国の法律に関する知見がほとんどない状況だったので、米国の弁護士を使っていたとしても、ずいぶん苦労して勉強したものだ。

 盛田さんを初めて仕事の上で知ったのは、磁気テープに関する特許問題の会議に参加した時だったと思う。「法律の専門家でもないのに、非常にロジカルで法的な観点からもするどい意見を述べる、すごい方だ」と思った記憶がある。

 盛田さんから私のところには、たびたび宿題が舞い込んだんだよ。「この件については、私はこう思うのだが、どう考えるか」「代案はあるだろうか」というような問い合わせでね。私は急いで答を作って返す、というのを必死で繰り返していた。そういう積み重ねで、「伊庭は頼りになりそうだ」という信頼を得たのではないかな。