連載2回目は、出井体制が実質的にスタートした1995年に、初代CFO(最高財務責任者)へ就任した伊庭保氏。連載1回目に登場した丸山茂雄氏が師と仰ぐ人物だ。当時のソニーの売上高の約半分に迫る、2兆円近くの有利子負債を抱えていた時期にCFOの職にあった同氏が語る。今回はその後編(前編は「だから私はソニーへ提言書を送った」)。
聞き手は日経ビジネスの宗像誠之。
伊庭さんは、ソニーにおける経営の迷走は、出井(伸之、ソニー社長や会長兼CEOなどを歴任)さんの時代から始まったとお考えですか。
伊庭氏(以下、伊庭):出井さんは経営トップとして、技術の重要性は分かっていたと思う。けれどソニーにとって必要な技術は何であるかが理解できなかったのではないだろうか。
以前、米アップル創業者の一人である、スティーブ・ウォズニアックのインタビュー記事を読んだことがある。そこで語られていた内容と同じような感想を、私もソニーに対していつも感じていたんだよ。インタビューでウォズニアックは、「経営陣には技術を理解する人材が必要で、そう考えると今のアップルの経営は片肺飛行のようだ」という主旨を語っていた。その上で、「アップルは元々、ソニーを目標にして追いかけてきたが、そのソニーが凋落した原因も消費者目線がなくなったからでないか」とも分析していた。
おそらく、彼のそのような発言は過去、ソニーの経営トップ時代に、出井さんが米国の展示会で、同じソニー製にも関わらず全く互換性のない2種類のウォークマンを、誇らしげに発表したイベントが念頭にあるのではないかと思う。あれはまさしく消費者目線を欠いた製品開発だったし、盛田(昭夫、ソニー創業者)さんや大賀(典雄、元ソニー社長)さんの社長時代だったら考えられない出来事だった。
もう一つの典型的な例は、ロボット事業からの撤退だろう。当時、ロボット事業は赤字だったけれど、長期的には必要な技術だった。技術開発までやめることはなかったのではないか。時間をかけて育てるべき将来の芽を、経営トップが主導して摘んだことになる。
かつて、ソニーはイノベーションを起こし続ける会社だった。そして、その背景には技術を熟知した経営者の厳しい目による、技術開発テーマの選択と集中が常にあった。全て正しい判断だったとは言えないかもしれないけれど、少なくとも創業者世代のソニーは、ヒット商品をつないで成長を続けてきた。そう考えると、正しい判断がなされてきた蓋然性は高かったと言えるんじゃないか。
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