「ハワードも平井さんも鼻が効かない」

丸山:鼻が効かない社長が偉そうなことを言ってもどうにもならない、というのは、この20年以上のソニーの業績が証明しているよね。ある意味、そういう社長しか生み出せなくなってしまったことがソニーの宿命だった。日立とか総合力で生き延びることのできる企業なら、鼻が効く経営者じゃなくてよかったんだろうけど、ソニーはそうはいかなかった。

 鼻が効く、効かないというのは、実はソフト事業の経営では基本なんだよね。ということは、ハードを作っていたソニー本社も、実はソフト分野に近い性格を持った会社だったということなんだよ。

 出井さんがソニーの社長になったのは1995年でしょ。もう大賀さんが社長を辞めてから20年以上経過している。ハワードも平井さんも同じ様に鼻が効かない連中だよな。ソニーの社長になって何をやりたいというビジョンがないまま社長になっちゃった人たちばかり。鼻は効かないけれども、「ソニー社長」というポジションを楽しんでいた人たちが、もう20年以上トップを務めているわけだから、そりゃあどんな立派な会社も終わるよね。

ソニーは今から変われるのか?

仮に現状まで「鼻が効かない」経営が続いてきたとすれば、この先、どうなれば変わるのでしょうか。

丸山:「ソニー社長」をやることが目的の人がこのまま経営の舵を担っていたら、この先も流れは変わらないよ。少なくとも自分から「辞める」とは言わないだろうし。「社長」というポジションにいることに意味があると思っているんだろうから。

 自分で辞めるつもりのない社長を辞めさせる権限を持っているのは取締役会だけど、きっと今の社長の続投を支持するでしょう。だって取締役会の大勢を占める社外取締役も、ソニー取締役というポジションに満足して楽しんでいるわけだから。ソニーの将来うんぬんではなく、とにかく平井さんの社長続投を認めて、一緒に自分たちも取締役をやっていたいと思っているだろうし。

 今の社外取締役たちが、「株主から選ばれた」という自覚を持って、株主の期待に応えるよう仕事をしようとしているかというと、決してしてねえよな。だからといって株主代表訴訟を起こすような元気のいい株主はもういないから、今の状況はあまり変わりそうにないんだけどさ。

平井社長抜擢のきっかけは英語力?

ソニーOBの方々は、丸山さんがSCE時代に平井社長を抜擢し、後にソニーグループで出世するきっかけを作ったと言っています。SEC時代、丸山さんが平井社長を抜擢した理由は何だったのでしょう。

丸山:俺が平井さんを引き上げたとか、偉くしたとか言われるけど、実際にやったことは大したことないんだよ。単純に、法務の担当者だった平井さんをSCE米国法人に連れていっただけ。SCE米国法人の米国人トップに辞めてもらった後に、誰もそのポジションにいないんじゃ具合が悪いから、「お前が米国のトップをやってくれ」と頼んだんだ。それが「俺が平井さんを抜擢した」と言われている背景だよ。

 なぜ平井さんをSCE米国法人のトップにしたかというと、当時のSCEと米国拠点の組織構造を変えようとしたことが一因だった。元々、SCE米国法人はソニー米国法人の子会社で、SCE本社の直接の子会社じゃなかった。だから経営のリポートが直接は全部、日本のSCE本社に来なかったわけ。SCE米国法人のリポートラインはソニー米国法人だからさ。

 でもこれって不自然だよね。東京のSCE本社にリポートするという形にしないと、経営できないよ。だからSCE米国法人は、東京のSCE本社に直接リポートするようにルールを変えようということで、打ち合わせするために俺が毎週のように、東京からSCE米国法人に行くようになっていたんだ。ところが俺はソニーグループの中では珍しく英語がしゃべれない(笑)。

 だから、帰国子女で英語ペラペラの平井さんと、日本語が話せる英国人のアンドリュー・ハウス(SCE社長で、現SIE社長)という2人の部下を引き連れて、SCE米国法人に出張するようにしたの。2人とも、当時はコンピューターの「コ」の字も知らないし、プレステのことも何も知らなかったよ。

「平井、ハウスの台頭は俺の英語力不足のお陰」

つまり平井社長だけでなく、SIEを率いるハウス社長も丸山さんが抜擢した、と。

丸山:そうしたら、このコンビがいい感じで活躍してくれて、リポートライン変更のルールづくりがうまくいったんだよね。

 ハウスは英国人だから米国人ほど体が大きくないんだけど、偉そうにしている現地のでかい体の米国人たちにものすごくきれいなクイーンズイングリッシュで話しかけるわけ。「お前ら米国人の英語と、英国生まれの俺の英語は違うんだぞ」って感じでね。それで対等に渡り合って交渉してくれた。

 片や平井さんは米国人に負けないでかい体つきをしていて、ベラベラと米国英語を話す。「ゲーム屋でなく、俺は音楽会社出身だぞ」という意識があったのか、会話の途中で、「ヘイ、ロックンロール!」って、全く関係ないフレーズを入れたりしてね、もうノリノリ。

 そんな様子を見ていて、まあこの2人なら米国人になめられずに何とかなりそうだから、「米国拠点は2人に任せてもいいかな」と思ったんだよね。経営トップを支える米国人幹部がみんな優秀だったから、平井さんとハウスの2人でも米国のビジネスは回るだろうとも考えた。少なくとも、部下になめられないレベルで英語をしゃべるしな。

 そうしたら思った通り、2人ともちゃんと米国法人を経営してくれて、2人とも経営者としても成長した。SCEで久夛良木のあとに社長を務めた平井さんと、その次に社長になったハウスが米国拠点で台頭して、経営者として育ったのは、俺が英語をしゃべれなかったお陰なのかもしれないよ。出張時の通訳担当として俺と接点ができたことが、出世のきっかけになったんだからさ。

 久夛良木がよく俺のことを、「マルさんは英語がしゃべれないからどうにもならない」とかバカにしたんだけど、「うるせえ、バカやろう」と反論していたんだよ。俺が、英語がダメなお陰で久夛良木はSCEにいた時、後に彼を支えることになる主要なスタッフを2人、つまり平井さんとハウスを育てたんだ、と。もし英語が話せていたらこの2人は今のような地位にいなかったかもしれない。

 平井さんにSCE米国法人のトップをやってくれと頼んだのは、彼がまだ30代前半の頃のこと。SMEで課長の経験すらなかった時期だから、普通はビビッて辞退するよな。けれど、さっき言ったように(前編参照)、創業時の会社の人材は頭がいいことよりも度胸が必要なんだよ。

 まさにSCE米国法人は創業期だったから、平井さんは平然とそのポジションを受けたんだろうね。そういう意味では、彼は創業時や乱世に強い人材なのかもしれない。