米国時間の1月20日、米国でトランプ新大統領が就任する。「米国第一主義」を掲げ、保護主義的な言動が目立つトランプ氏の姿勢に、グローバル企業の多くが身構えているように見える。
そこで日経ビジネスは1月23日号で、「トランプに負けるな! トヨタ、GE、ダノンの動じない経営」と題した特集を掲載。トランプ氏の大統領就任が象徴するグローバリゼーションの修正が始まる時代に必要なのは、企業と社会が共に価値を共有し続ける「サステナブル経営」であると位置づけた。
特集連動のWeb連載第1回は、米ハーバード大学マイケル・ポーター教授のインタビュー。ポーター教授は、企業が社会との共通価値を創造することの重要性を「CSV(Creating Shared Value)」というコンセプトで提唱し続けてきた。
ポーター教授は、過去20年ほどの間、米国の政治システムは何も進歩がなかったと分析。その一方で、トランプ氏の移民に対する発言などは批判しつつも、「成長志向」は評価。さらに、トランプ氏の登場が格差などグローバリゼーションのひずみを背景にしたものであり、企業はこれまで以上に社会課題の解決に取り組む必要性を認識することになると指摘。“トランプの時代”には、税収などの面で制約がある政府より、企業が社会変革のリーダーになると語る。
【記事のポイント】
- ●米国の政治は過去20年、何も進歩しなかった
- ●トランプ大統領登場で、企業は社会課題解決に覚醒
- ●「CSV」が資本主義の究極の力を引き出す
マイケル・ポーター(Michael Porter)氏
米ハーバード大学教授。競争戦略論の権威。寄付などに頼る社会貢献ではなく、事業で社会との共通価値を創造する「CSV(Creating Shared Value)」を提唱してきた。
まず、トランプ大統領が誕生する背景をどのように分析していますか。
マイケル・ポーター教授(以下、ポーター):重要なのは、米国の平均的な市民は、経済成長の恩恵をあまり受けていないということです。スキルや教育の水準が低い人たちの状況は、さらに悪い。米国民は、将来を不安視しているのです。
これは、米国では異常な状態です。米国は常に、大いなる楽観主義の国家で、通常ならば国民は前向きですから。しかし、過去15~20年、楽観よりも不安を抱くようになっています。
そしてもう1つ忘れてはならないことは、米国は過去20年ほど、政治システムにおいていかなる進歩も成し遂げることができなかったという事実です。二大政党が互いに競い合い、その結果、何も動かなかった。共和党と民主党がいがみ合い、政府を機能不全に陥らせたのです。税制改革もなければ予算改革もない。国際貿易の改革もないし、インフラ改革も規制改革も実現していません。
そこに、国民は不満を募らせていたのです。大統領選では、かなりの多くの人々が、単純に、これまでと同じような人物には政府を運営させたくないと思ったのではないでしょうか。その点で、トランプ氏は完全にアウトサイダーで、何かに恐れたり臆病になったりすることはないように見えました。これまでの政治を振り返れば、こうした点は多くの人にとって魅力的でしょう。
米国人に、反移民の感情を抱く人が多いとは思いませんし、人種差別主義者が多いとも思いません。トランプ氏に票を投じた人の多くは、トランプ氏のそうした発言を支持して投票したわけではないでしょう。トランプ氏に投票した人は、「この男は真実を言っている。自分たちの気持ちを代弁している。彼にチャンスを与えてみようじゃないか」と考えたに過ぎないと思います。
トランプ氏の「成長志向」は評価できる
とはいえ、トランプ氏が大統領選に勝利したことは、世界中に大きな衝撃を与えました。
ポーター:水曜日(大統領選があった2016年11月8日の翌日)の朝、目が覚めてトランプ氏の勝利を知った時、私たちはショックを受けました。しかし、思い返せば、データを見ればそれほど驚くべきことはありません。トランプ氏勝利の背景にあるのは、1つは弱い経済でしょうし、もう1つは国を前進させる政治的な進歩に欠けていたことです。
反移民など特定の馬鹿げた発言に過度に腹を立てずに、彼が言っていることに耳を傾ければ、1つ、ポジティブなメッセージがあります。それは、彼が全般的には成長志向だということです。
(トランプ氏と大統領選を戦った)ヒラリー・クリントン氏は、成長志向とは言えませんでした。むしろ、再分配志向です。あるグループから取り上げたものを、他のグループに分配する。彼女は「企業こそが問題だ」と発言し、富裕層は公正な税金を収めていないと批判していました。実際には、米国は非常に累進的な税制を持っており、富裕層が税金のほとんどを納めているのですが。
これに対し、トランプ氏のメッセージは少なくとも成長志向です。インフラを作り、税制を変えようとしている。日本でも、法人税を引き下げてきていますよね。今の時代、例えば、ある国の法人税が20%程度だとしたら、自国の税率を35%にしておくというわけにはいかないのです。つまり、トランプ氏のメッセージの一部は、米国経済が前進するために、本当に重要なニーズに言及しています。
不幸にも、トランプ氏はメキシコ系を始めとする移民を争点として取り上げました。米国では移民が経済を底上げし、押し下げることはないという証拠は、揺るぎないものです。同様のことは、欧州連合(EU)離脱、いわゆるBrexit(ブレグジット)を決めた英国にも当てはまります。
英経済では移民は極めてポジティブに作用しており、移民が何かを英国から奪っている証拠はありません。移民が流入し仕事を奪い、社会福祉サービスを利用するという懸念は、データに基づくものではなく、全ては恐れから来ています。
私たちがブレグジットやトランプ大統領誕生から学ぶべきことは、現実に何が起きているのかを理解している一般市民が、いかに少ないかということです。政治において、誰かをスケープゴートとして非難するということが簡単に起きてしまうことは、恐ろしいことです。移民だけではなく、グローバル貿易、エリート、そして大企業がやり玉に挙げられる。決して、政治家は「(市民である)あなた」を非難しませんから。
私は、こうした極端な状況が長く続くとは思っていません。特に、貿易やグローバリゼーションについては、少し楽観的に見ています。
よりフェアな貿易に向けて関係の精査は望ましい
トランプ氏は選挙期間中から、環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱を表明するなど、グローバリゼーションの流れに逆行する態度を示しています。本当に楽観できるのでしょうか。
ポーター:米国はこれまで、一部の他国の政策に対して不利な状況にありました。例えば、中国に対してはそうでしょう。米国企業が中国に進出すると、中国は研究開発(R&D)を現地でやるように要求をしますが、しかし、それは世界貿易機関(WTO)加盟国としてルール違反です。
中国はWTOに加盟していますが、そのルールを自国に都合がいいように解釈しています。一方、米国はこれまで、そうしたいくつかの問題で中国に対してモノ申すことには消極的でした。トランプ氏は、そうした中国問題の真実を理解していると思います。
メキシコについては、中国ほどの問題があるとは思いません。ただし、おそらく、これから起きるであろうことは、こうした全ての貿易相手国との関係を再度、精査するということではないでしょうか。
これは必ずしも悪いことではありません。私が期待するのは、貿易についての各国との合意が、より米国にとってフェアなものに見直されることです。中国との関係について言えば、知的所有権の問題などについて改善されることを望みます。
これまで米国は経済的に他国より進んでいました。それゆえ、相手国よりも多く譲歩しなければならなかった。基本的に、米国は寛容だったのです。しかし、その状況はある程度、適正化に向かう必要があると思います。このリ・バランスは、国際貿易システムがよりフェアなものになるためには、いいことでしょう。
日米の貿易関係について言えば、それほど大きなリスクはないと思います。平均的な米国市民は日本について怒りを感じてはいません。20年ほど前はそうだったかもしれませんが、今、日本企業は米国にとって主要な投資家です。米国にとって“良い市民”として認知されていますし、雇用についても配慮を怠りませんから。
「CSV」が資本主義が持つ究極の力を引き出す
ポーター教授は、企業がCSV(Creating Shared Value=共通価値の創造)に取り組むことの重要性を提唱しています。昨年発表した米国経済に関する論文では、米国の問題は繁栄の恩恵を社会と共有できていないことだと指摘しています。ブレグジットやトランプ大統領誕生の背景を考えると、企業はこれまで以上に社会との「共通価値の創造」を重視する必要性に迫られるのではないでしょうか。
ポーター:まさにその通りです。既に多くの企業は、利益の一部を寄付したり、単にCSR(企業の社会的責任)活動に取り組んだりという状況から、CSVへと移行してきました。つまり、事業そのものを通じて、社会によりよい影響を及ぼそうという方向に動いています。ブレグジットやトランプ大統領の誕生によって、企業は社会課題の解決に、より積極的に取り組む必要性を認識するでしょう。その意味で、現在の状況は共通価値の創造を企業の経営戦略に組み込む流れを、これまで以上に加速するはずです。
CSVというのは、博愛の精神を指す考え方ではありません。企業が競争上、ライバルとは異なる方法で優位に立つための戦略です。まさに、そのムーブメントが今、本当に加速し始めています。
社会に与える影響について配慮せよという、企業に対する市民の要求は、急速に強まっています。そのため、すべてのステークホルダーに対して配慮しなければならないと考える企業は、ますます増えています。
しかし、この動きはさらに変化しています。社会課題の解決に取り組むことは、従業員や顧客、市民社会などのステークホルダーだけではなく、株主にとっても重要になっているのです。エネルギー効率を改善し、健康に寄与する商品を作り、従業員が会社の中で成長できる機会を提供することなどは、そもそも、企業が持続的に成長し、より成功を収めるために不可欠なことだと理解されてきました。
共通価値の創造というコンセプトは、資本主義が持つ究極の力を引き出すものです。企業が得た利益を社会に再分配するという発想ではなく、社会課題を解決し、社会のニーズに応えること自体が、企業を競争上、より優位にする。そうしたコンセプトを企業戦略に組み込むことが、資本主義の真の力を引き出すことにつながるのです。
そのことを、世界をリードするグローバルカンパニーの多くが理解している。スイスのネスレなどは、その典型でしょう。米国のウォルマート・ストアーズでさえ、最近は大きく変わりました。
一昔前のウォルマートは、社会派のアクティビストから憎まれる存在でした。コスト削減しか興味がなく、安物を販売し、賃金を低く抑え、世界中のサプライヤーに対して非常に厳しい取引を要求し、環境にも悪影響を及ぼしている、と。こうした批判が特にフェアだとは思いませんが、ウォルマートは多くの人から敵視されていました。
しかし、過去10~15年の間、ウォルマートは社会の変革を牽引する存在になってきました。企業規模があまりに巨大なことが、1つの背景にあります。
ウォルマートの売上高は5000億ドル(57兆5000億円)規模。約200万人を雇用しています。それだけの規模があるからこそ、例えば環境負荷を少し軽減するだけでも、ウォルマートにとっては大きなコスト削減要因となるだけではなく、社会に対して非常にいいインパクトを及ぼせるわけです。そのため、数多くの社会的分野で、ウォルマートは大きな存在感を発揮するようになりました。
ウォルマートはかつて嫌われ者でしたが、今ではCSVの考え方を戦略に組み込んでいます。ウォルマートは過去の教訓から学び、今のCEO(最高経営責任者)もかつてないほどクリエイティブです。ウォルマートはもはや悪者ではなくなりました。それとは反対に、米アマゾンが物流センターでの従業員の扱いや税金などの問題で、今では嫌われるようになっています。
政府は大規模かつ効率的に社会課題を解決できない
とはいえ、多くの経営者は今でも、社会課題の解決のような取り組みは、儲かっていて経営に余裕があるときにだけできる、特別なものだと考えているのではないでしょうか。
ポーター:確かに、そうした見方はこれまではとても自然なものでした。歴史的に、“善い行い”には余計なコストがかかるもので、利益を減らすと考えられてきました。
しかし、製品を差別化したい、サプライチェーンを効率的にしたい、従業員に生産的になってもらい、しかも会社に忠誠を誓ってもらいたいと考えるのなら、共通価値の創造を追求することは合理的な判断です。そのことは既に、様々な事業の経験や調査・研究などから明らかになってきています。
どのような企業も、その活動は社会や世界に影響を及ぼします。しかし、企業はそれによる生じるコストを払うことを避けようとしてきました。古典的な例が公害です。25年ほど前は、「公害は利益になる」と信じられていました。ともかく、ゴミを出すコストを負担しないことが、より多くの儲けにつながるというわけです。そのため、企業が公害を出さないように、当局が厳しい規制をかけることが必要となったわけです。
しかし、今では公害を出すことが利益につながらないことを、私たちは学んでいます。実際、公害を出せば利益は減ります。エネルギーや天然資源を無駄使いしたり、トラック配送をやり過ぎたりすれば、余計なコストが掛かり利益を圧迫しますよね。
これは明らかに革新的な発想の転換です。もちろん、昔の考え方はまだ完全には死に絶えてはいません。社会的な課題解決と経済的な目標はしばしば衝突するという見方は、なかなか無くなりません。
それでも、ネスレのような共通価値の創造を戦略の中核に内包している企業は、もはやそうした見方のずっと先を行っており、社会課題の解決こそがビジネスの大きな機会になると認識しています。
この知性的な変革を企業が成し遂げれば、(企業が市民から憎まれる対象ではなく)企業が最も尊敬される機関となる新しい時代を作り出すことができるでしょう。政府が何かをしようとすれば、税金を徴収しなければなりませんし、NGO(非政府機関)も寄付を必要とします。つまり、政府もNGOも、効率的に物事を大規模に展開することが上手くできないのです。
つまり、これからの時代は、企業が社会変革で最もパワフルな機関になる。それは、これまでの時代では見られなかったことです。
資本主義は社会に有用。その信念は変わらない
環境破壊が進まないようにしたり、格差を是正するように富を再配分したりする役目は、これまでは政府が担うものだと考えられてきました。政府が最もパワフルな機関ではないのですか。
ポーター:政府は、大規模に、しかも効率的にサービスを展開するようにはデザインされていません。政府の役割は、そうではないのです。政府の役割はルールを設定すること。しかし、これまで私たちは、社会課題の解決において、あまりに政府に依存してきました。
これから私たちにとって必要なことは、民間セクターを社会課題の解決に呼び込んでいくことです。なぜなら、資金を持っているのは民間ですから。その規模は、政府もNGOも全く及びません。民間セクター、つまり企業こそが、社会課題の解決の主役になれるのです。
これまで、しばしば企業は政府やNGOと衝突してきました。これからやらなければならいことは、企業も政府もNGOも、協力することです。非常にエキサイティングな時代になると思いませんか。
私は、長期的には多くの社会課題が解決されていくと、基本的に楽観視しています。世界銀行のジム・キム総裁のようなリーダーたちも、そのことを理解しています。世界銀行はかつて政府に融資を提供するのが主な仕事でしたが、今では民間セクターにも資金を提供しています。
これこそが、今日、私たちに問われている課題です。社会の様々な機関の役割をこれから再整理し、改善し、高めていくことが求められますが、その中でも企業の役割は極めて大きい。私は根本的に、資本主義が社会に有用なものであることを心から信じています。今、様々な疑念や懸念が生まれていますが、この信念は変わりません。
■訂正履歴
本文中2ページで「進歩主義的な税制」としていましたが、「累進的な税制」の誤りです。お詫びして訂正します。本文は修正済みです。 [2017/1/23 12:30]
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