(前編から読む)
今年のある日、家族の写真を15年分突っ込んだハードディスクドライブ(HDD)が壊れた。某社で復旧を見積もると30万円(!)と言われ、びっくりして交渉し値切りに値切ると、最終的には約19万円になった。が、それでも高い。そして、大幅な値切りができたことで、むしろ価格形成への不信を感じてしまった(やりとりの詳細は前編を)。
どういう背景で修理の料金が決まるのか。真正面から答えてくれたのはAOSリーガルテックの林靖二執行役員(※なお同社は、私が修理を依頼した会社ではありません)。
「千差万別の状況に対応するために、どうしても人手と時間がかかってしまう」ことがコストがかかる大きな理由という。しかし、それだけでは納得できないと食い下がると「故障したHDDの、動かない部品を交換するスペアパーツにする『ドナー』のHDDの入手や保管も、見えにくいコスト要因。当社ではいま数千台のストックがあり、少なからぬ費用がかかっている」という。実際にストックを見せてもらった。
――おお、ずらりとHDDのストックが並んでいますね。
AOSリーガルテック執行役員・林 靖二さん(以下林):例えば同じメーカーの、同じ型番のHDDでも、工場や製造時期によってパーツが違うことは当たり前です。15、6種類のバリエーションがあったり、BIOS(ファームウエア、ハードを動かす基本的なソフト)も違うし、その情報も一般には公開されていません。
――では、どうするんですか。
職人技と「ひっかけ」が混在する業界
林:ストックからひとつひとつ取り出して、載せ替えて、動くかどうか試すしかないんです。動いたところで別のHDDにデータをコピーして、部品は戻しておく。修理の実績を上げるには、大量のドナーHDDを仕込んで、ストックしておかないといけないわけですよ。
――この棚、撮影していいですか。
林:それはおやめください。ストックの数や整理の仕方もノウハウなので。
――他に職人っぽい技はありますか。
林:普通は読み取れないデータでも、データのある箇所に、ヘッドを長くアクセスさせると読める場合もあります。しかし、あまりアクセス時間を長くするとヘッドがプラッターに接触して再起不能になってしまうので、まず、健全な部分のデータを先に保存してから、難所に挑みます。まあ、ほんとうはちょこちょこヘッドはプラッターに触れているのですが。
――ヘッドは、プラッターの回転で起こる風で常に浮いているのだと聞いていましたが。
林:理屈ではそうなんですが、振動で触れてしまうことはありまして、これはメーカーも計算内です。とはいえ、雑に扱えばあっというまにお釈迦です。分解して、プラッターからヘッドを抜く時は…こうやってプラッターを手で回して、回転している間にそっと抜く。逆もしかりです。
――間違ったら再起不能でこの作業となると、これは確かに手間も熟練も要りますね。
林:コストがかかるもうひとつの大きな理由は、物理、論理とも、復旧作業用のシステム自体や開発、そしてその扱いに慣れた人材の育成にお金がかかることです。システムは基盤の形で提供されることが多く、1枚で200万円とかします。この手のツールはロシアのものが優秀で、そこに技術者を研修のために送り込むことも多い。
――そういえば、「当社にはクリーンルームがあります!」と、謳っている業者さんがよくありますが。
林:ああ、クリーンルームですか。
――薄い反応ですね。
林:弊社にもありますが、あれは実はコスト的には見かけ倒しです。クラス100、つまり無塵クラスでも、上から空気を浴びせて埃が入らないようにする程度で、見た目はビニールのテントみたいなものですし、コストもたいしてかかりません。クリーンルームがあるかどうかは、技術力とはほとんど関係ないと思っていいでしょう。
――うへえ。じゃ、「これぞ技術力の証し」みたいに打ち出しているところはあまり好感が持てませんね。
林:ネットで修理業者の広告を見ると、本当にあざといひっかけが多いです。
個人がデータ修復に大金を払わざるを得ない時代に
――大手IT企業との実績を謳うところもよく見かけました。
林:「実績」と書いているか「提携」「契約」と書いているかはひとつポイントかも知れません。そこの機材をデータ復旧したことがあれば「実績」と書けますからね。
――ちなみに、御社のお客さんの数は、1日何件くらいですか。
林:問い合わせの件数は1日70件前後、年間2万件といったところです。実務のスタッフは全員で20人程度です。
――個人と法人の比率は?
林:7:3で個人が多いです。業務提携パートナーからのご紹介もあるので。
――個人がそんなに多いんですか。
林:そうなんです。10年前は、個人が自分のデータに10万円払うなんてあり得ませんでしたよね。
――確かに。故障したパソコンの修理を頼む際には「データは消滅しますが、よろしいですね?」でした。
林:泣く泣く諦める、それが当たり前でした。でもYさんのように「この10年間で大事なデータがHDDに溜まった」んです。諦めることなんてとても出来ない。ですから、これだけの金額をお支払いになる方も増えました。今はスマホがそうなりつつある状況です。
――あ、なるほど。
林:だから、そこにつけこんで、取れる限り高いの料金を、と考える業者さんも出てくるんでしょう。
AOSリーガルテック取締役・菅野善之さん(以下菅野):そもそも、データ復旧サービスはリピーターがまず、いないんですよ。
――ということは、グルメサイトみたいなユーザー評価は蓄積されにくいのか。なぜでしょう。確率の問題ですか?
菅野:違います。痛い目に遭って、それ以後は用心するからです。
――あああ(頭を抱え込む)。
プロの防御方法は?
林:Yさんはその後、どうやってますか?
――言うのも癪なんですけど、復旧をお願いしたA社の方に聞いてみたんです。「どうすればよかったんですかね」と。そうしたら「HDDは安くなりましたから、RAID(※)を組むよりも、素直に2つ別のHDDを買って、同じデータを保存した方がいいですよ」と言われて、それはもっともだな、と、ポータブルHDDを2台買ってダブリングしています。もしトラブルが出たら、出た方だけ買い換えるつもりです(※RAID=複数のHDDを1台のHDDとして扱い、記録を行う方式。高速性や冗長性を持たせることができる)。
林:それはわるくない手ですよ。
菅野:ポータブルHDDは安くて大容量で便利なんですが、それをメディア代わりにしてため込んでいるカメラマンさんがいるんです。これはとても危ないです。
――菅野さんは、どんなふうに保存しているんですか。
菅野:子供の小さい頃の写真だけ、ネットのストレージと、HDDの多重化ですね。
林:わたしはオタクっぽいですが、同じHDDに同じデータをいくつも保存しています。プラッターの違う部分に同じデータがあるわけで、救出確率が上がります。
――うわー、それはオタクっぽい。やってみたい。話を戻しますが、HDD修理の業界規模はどのようなものでしょうか。
菅野:弊社のような専門職、専用のオフィス、機材を揃えているところから、市販クラスの復旧ツールで個人がやっているところまで含めて300~400社くらいではないでしょうか。弊社のシェアはだいたい1割くらいかと思います。
――御社で年間2万件の相談があるとのことでしたが、そのうち実際に申しこむのは?
菅野:約6割ぐらいですね。
――費用は。
菅野:個人だと7万~8万円、法人は20万円から、オンサイトでサーバー復旧などを含めれば、数百万円になることもあります。
――わたしの場合は、個人にしては高いですね。
菅野:個人でRAID、というケースはそうはないですから。
――でも、話が戻りますが、物理障害はともかくとして、論理障害の方は復旧ソフトで直せた可能性があるわけですよね。私の場合、片方は物理障害でしたが、同じデータを記録してあったもう片方のHDDは、「軽度な論理障害でした」と仰ってましたから。
菅野:はい。ぶっちゃけたお話、パソコンにつなぐことができれば、市販の復旧ソフト、たとえば当社の「ファイナルデータ」で直ったかもしれません。
――そのソフト、買うとおいくらですか。
菅野:実売で1万円程度です。
えっ、1万円で直せたの?!
――えええっ?! じゃ、18万円が1万円で済んだんですか? これは我が奥様には伝えられないな…。
菅野:そうお考えになるのももっともですし、最初からご自身でソフトを使って復旧を試みられるのも、もちろんひとつの手です。今回はそれで復旧できた可能性も高いと思います。
でも、パソコンに繋ぐことで、物理障害が発生してアウトになる可能性も高かった。というか、試してみるまでどちらになるか分かりません。そこに賭けることができるのは、持ち主ご自身だけです。我々には無理です。
Yさんの場合、復旧そのものははっきりいって容易なケースでした。といっても、どうしてそれが言えるかと言えば、まず、「物理障害がない」ことが分かって、その上で、大きな論理障害がないと分かったから、安心してかかれるわけです。もし障害があったら、電源を入れることで復旧不能になったかもしれない。
――結論が出た後なら「お金がもったいなかった」と言えるけど…。
菅野:我々は、お客様のデータを賭けるわけにはいかない。そして、最大限リスクを避けながら原因を突き止めるところまでで、すでにコストがかかっているわけです。
さらに重篤な状態だった時のために用意されている膨大なドナーHDDのストック、修復システム、それを扱える人材の人件費、そしてその他の販管費もろもろも案分されて乗ってくる、ということで、こういう値段になってしまうんです。
林:よくある売り文句ですが、他社が、自分のところではお手上げで復旧出来なかったHDDを、弊社にこっそり回してくることも多いです。
――ビジネスパーソンとしてはわかるのですが、それでも個人としてはすんなり首肯しがたいです。そこまでのエリートチームはいらないから、もっとカジュアルな金額で済むようなコースはないんでしょうか。
林:ひとつは定額化です。量販店さんなどで、4パターンで明示して「これ以上はかかりません」とやっています。
もうひとつは保険ですね。個人の方向けには、たとえばHDDメーカーのウェスタン・デジタルさんと組んで、3年間故障保証を提供しています。(こちら)。
――ああ、一般人に納得のいくお値段と保証はこういう「提携先と薄く広く」の形でしょうね。
林:やはり、料金を理解して頂くのが難しくて、約半分のお客様を「逃がして」いるわけですから、ここは企業努力が必要だと思いますし、「ぼったくり」と思われない対応を業界全体で心がけていくべきだと思います。
――なるほど。
菅野:それにしてもYさん、RAIDでよくここまで値切りましたね。30万円ならともかく、これなら「ぼられた」とは言えないと思いますよ。
嫌な目に遭いたくなければ、早めの対策を
どうやら、自分は「ぼられた」というわけではないらしい。
といっても、修理代金に驚愕し、脂汗を流しながら値切ったのは、決して愉快な思い出ではない。
前編(こちら)冒頭での、私の体験はやや極端なものだったのかもしれない。とはいえ、こういうタイプの“接客”をする冒頭のA社のような業者さんはまだまだ実在するらしい。
データが人質に取られているような錯覚と、とにかく交渉自体が煩わしくてさっさと終わらせたくなる、という焦りが、つけこまれるポイントだ。もし、そう感じたら、冷静に「席を立って次の業者を探す」といきたいところだが、正直、なかなか難しいと思う。
だから、家族写真だけでもいい。何らかの保険(予備HDDでも、なんでも)を今のうちに取っておくことを強く強くお勧めしたい。わたしみたいな気分を味わう人を少しでも減らしたい。これを読んだのもなにかのご縁ですよ。さあ、手を打ちましょう。そして願わくば我が妻がこの記事を目にしないことを。
■変更履歴
本記事の1ページ末尾に、プラッターを回転させてヘッドを引き抜く描写があります。記事掲載当初は、「回転によって風を起こしてヘッドを浮上させる」という説明がありましたが、実際には、ヘッドがプラッター上に停まっているタイプ(シッピングゾーン方式)の場合に、ヘッドスライダーの支持部のサスペンションを傷めない方向で引き抜くことが重要で、そのためにプラッターを特定の方向に回転させたことが分かりました。これを反映して本文を修正し、写真を削除しました。お詫び申し上げます。ご指摘を下さった匿名希望の方に御礼申し上げます。ありがとうございました。 [2016/11/14 19:00]
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