Y:大ヒットおめでとうございます。
山内章弘・「シン・ゴジラ」エグゼクティブ・プロデューサー(以下山内):ありがとうございます。好評を受け、この9月2日からはゴジラの聖地、日劇(旧日本劇場、現TOHOシネマズ 日劇)でも上映を始めています。(9月)16日までです。
山内章弘(やまうち あきひろ)
1969年生まれ。東京都出身。東宝株式会社 映像本部映画企画部部長。テレビドラマの企画プロデュースを長年手掛け、現在は自社製作映画の企画・製作を担当している。 主なプロデュース作としてドラマでは「トリック」シリーズ、「マイ☆ボス マイ☆ヒーロー」等、映画では「トリック」シリーズ、「電車男」、「チームバチスタの栄光」シリーズ、「神様のカルテ」シリーズ、「進撃の巨人」、「バクマン。」、「orange」、「アイアムアヒーロー」など。最新作は「青空エール」、「何者」、「怒り」、「SCOOP!」など。
Y: 1954年に第1作のゴジラが襲った劇場で見られるわけですね。
山内:はい、946席、日本最大級のスクリーンで見ていただけます。
Y:7月29日から公開が始まって、まるひと月経ってさらに公開館が追加されるのはすごいですよね。現在までの最新の数字をいただけますか。
山内:9月6日時点で入場人員は420万人を突破、平成に入ってからのゴジラシリーズでは最高の観客動員数を達成しました。映画館の売り上げである興行収入61億円(7月29日から40日間)、現時点では今年公開の邦画実写映画の興行収入成績1位です。
Y:この数字は、どういうふうに捉えればいいんでしょうか。
山内:2年前に公開された、ハリウッド製作の「GODZILLA ゴジラ」(ギャレス・エドワーズ監督、配給はワーナー・ブラザース、2014年7月25日公開)の日本の興行収入が32億円でした。こちらをご覧いただいた方々には、元々ゴジラを大好きな人がほぼ全員入っている…と思うんですね。「シン・ゴジラ」は、その数字のほぼ倍近いヒットになっています。やはり、元々ゴジラを好きな方の外にも、確実に見ていただいている層が広がっているのだなと思います。
シン・ゴジラのどこが異例か
Y:私、無駄話が大好きなんですが、今回はお時間がないということで、単直にうかがいます。
山内:どうぞ。
Y:山内さんのお仕事は「エグゼクティブ・プロデューサー」。これは、何人も居るプロデューサー(シン・ゴジラでは3人)の総元締めと言いますか、統括するお立場ですね。つまり、会社側の総代表として、監督を頂点とするクリエイター側といわば対峙する。
山内:作品を一緒に作っている訳ですから「対峙」というのは違うと思いますが、会社的な立場で言えばそういうことなりますかね。作品の収益上の責任を持つ立場。
Y:そろばんを持つ“会社員の側”として、シン・ゴジラの「異例」さがどうして成り立ったのかを、聞かせていただけないでしょうか。
山内:よく話題に出る、自社製作と製作委員会方式の比較のお話ですか?
Y:いえ、ちょっと違います。「多種多様のステークホルダーがいる製作委員会方式ではなく、東宝が意思決定出来る自社製作だったことが、庵野秀明監督の個性を存分に発揮させた」という記事は私も読みました。とはいえ、製作委員会方式ならダメだったかというともちろんそうとは限らない。各社がそれぞれの持ち味を発揮すれば、一社ではできない企画が可能になるし、リスク分散が出来る分予算もかけやすいし。
山内:ええ。「製作委員会方式だから悪い、単独製作だからいい」という単純な話ではありません。
Y:そもそも「ゴジラ」シリーズは、ずっと東宝が単独製作で作ってきたわけですし、それ自体は特異な話じゃないんですよね。お聞きしたいのは、今回の映画でヒット作の定式を取らなかった決断と、それを会社に認めさせた、プロデューサーの方のお話なんです。
興行的にはリスクだらけの「シン・ゴジラ」
山内:定式というと。
Y:2014年の「GODZILLA ゴジラ」、いわゆる「レジェンダリー版(ハリウッドのレジェンダリー・ピクチャーズで製作されたことからこう呼ばれる」)でも、明確に主人公がいて、個人間の愛憎があって、家族愛や人間愛に回収されるストーリーだったと思います。幅広い観客、なかでも、女性や家族客を取り込むにはこれが鉄板と思われてきました。
ところが、「シン・ゴジラ」は、人間側の関係性をほとんど表に出さない、ドキュメンタリー風の映画です。ここに、そろばん側でリスクを感じないわけがない。実際、その辺を危惧して、主要登場人物の、矢口蘭堂とカヨコ・アン・パタースンはかつて恋人同士だったという設定を盛り込もう、という話も東宝側から出たという発言もありますね。
山内:今回のストーリーは、「大人の作品にしよう。ファミリー映画を意識したものにはしないことにしましょう」ということが大前提だったのは確かです。クリエイターと東宝の間で、最初にそれを決めました。描くのは「ゴジラが初めて日本に来る。日本人はどう対処するのか」という出来事、事件を、ドキュメンタリータッチで描こうと。
それを決めた上で、どういうストーリー、物語仕立てにするのがいいのか、を試行錯誤しました。それを具体的に作っていく中で、確かに、我々(プロデューサー陣)と監督たちの間では、「ラブストーリーを入れた方がいいのでは」「親子のドラマは」というやりとりが、脚本の議論としてはなされました。でも、すべては最初に目指していたところを実現するために必要な過程だったと思います。
Y:2013年の夏に、「パシフィック・リム」があったじゃないですか。
山内:ありましたね。ギレルモ・デル・トロ監督の(製作、配給は「GODZILLA ゴジラ」と同じくレジェンダリー・ピクチャーズ、ワーナー・ブラザース)。
Y:山内さんは、相当この手の映画にお詳しい方ですか。
山内:人並みだと思います(笑)。
3年経って、なぜできたのか?
Y:あのとき、「こういう怪獣映画が本家の日本でなぜ作れないんだ?」と話題になりました。当時、特撮関係の方が来られたイベントを見に行ったら、やっぱりそういう質問が会場から出て。そうしたら、「日本の映画会社や製作委員会は、確実に動員を見込めるスター俳優の起用を求め、彼ら彼女らのラブストーリーを脚本に求めるから、こういう映画を作るのは難しい」と、ある方が発言されて。
山内:なるほど。
Y:で、3年後に「なんだ、あんなことを言っていたのに、見事に日本でもできたじゃないですか!?」と、個人的に驚いているわけです。なので、この間に何があったのかな、と気になって。
山内:確かに、その方がおっしゃるように、そこを目指していても諸条件でできないことはあるのかもしれません。
Y:でも今回はできた。なぜなのでしょうか。
山内:ひとつは時代的な背景ですね。この「シン・ゴジラ」の企画の動き始めは2012年、東宝が最後に製作したゴジラ(「ゴジラ FINAL WARS」、2004年12月公開)から、10年近い年月が過ぎようとしていました。
2012年でも、もちろん「ゴジラ」は有名で、世界中の誰もが知っていました。でも、10年間新作が世に出ない物語は、“ひと世代が全部落ちている”んです。
Y:観客の中に「ゴジラを見たことのない世代」ができてしまったわけですね。
「ゴジラ」ブランドの内部改革は難しい
山内:そうです。それを再び、みんなが知っている、見てみたい、と思うモノにせねばならない、という危機感、あるいは「そんなことができるだろうか」という恐れは、東宝の関係者はみな持っていたわけです。
Y:絶版ブランドの再生プロジェクトみたいに考えればいいのか…。
山内:実は私自身は、直接ゴジラのプロデュースに関わるのは初めてでして。
Y:では、けっこう戸惑われた?
山内:いえ、ゴジラ映画は1954年以来、半世紀を超える歴史の中で、その時々の諸先輩が最善策を打ってきました。それゆえに、直接関わるのは初めての私でも「ゴジラ映画とはなんぞや、どうあるべきや」は、もうきっちり染みついていたんだと思うんです。
もちろん私も「こういうのを作ったらいいのに」と、一(いち)プロデューサーとして思うところはありました。でも、そういう思いがあっても、いざやろうとすると、模倣になってしまう。だって、大先輩方の歴史を大きく踏み外すことはできない。
Y:なるほど。
山内:そういうときに、このシリーズを再生するには、新しい血、同じ思考ではない血が必要なんだろうという思いがあった。
とはいえ、ゴジラなんて聞いたことも見たこともない、好きでもないという人にやってもらうわけにはいきません。それでは、単なる破壊になってしまいます。いったいじゃあ、誰がこの映画のプロジェクトリーダー、監督をやってもらえるのかと考えると、特撮にも造詣が深く、新しい視点を持ってくれる人でなくてはならない。
観客も製作も「世代」が変わった
山内:しかも、僕らのプロジェクトが動き始めた一つの要因として、レジェンダリー版の企画発表がありまして。ハリウッド版の企画が発表されたことで「今回の(レジェンダリー版の)監督はゴジラが大好きだから良さそうな気がするし、ハリウッド版は楽しみだ。けれど、本家本元の東宝はもうやらないのか」という声を数多く頂きました。そうなるとですね、海外版の公開が決まっている中で、海外に対して「次の東宝のゴジラは、この人が撮るんですよ」と明言できる人が望ましい。つまり、「ひと世代が抜けた」ゴジラ再生には、庵野さんしかいなかったわけです。
Y:観客がひと世代抜けたのと同じことは、作る側の東宝の社内でも言えるわけですよね。
山内:ええ。製作、ということで言えば、「FINAL」までのゴジラシリーズを率いていらした富山(省吾)プロデューサーをはじめ、多くの方は一線を退かれています。
Y:庵野監督の起用による再生もそうですが、最初に伺ったドキュメンタリータッチの表現など、これまでの日本映画の大作ではできなかったことが許容出来た背景には、東宝自体の世代交代もありそうですね。
山内:それはあるでしょうね。あると思います。ですから、実は、「これが必要だ」というロジックが通れば、意外なほど反対はなかったんですよ。
Y:とはいえ、通称「蒲田くん(※東京・蒲田地区を蹂躙した映画のゴジラの第2形態にファンが付けた愛称)」とか、わざと生理的に抵抗感がある形状になっているじゃないですか。相当、抵抗はあったんじゃないかと思いますが。
山内:ああ、あれはなかなかえぐいですよね。
定番を変えるのに、トップの信頼を得るには
Y:あれひとつ取っても、「東宝のゴジラらしくない」という強硬な反対が起きて当然だったと思います。突飛な連想ですが、ソニーが「ウォークマン」を出したときだって、社内から「スピーカーがなくて、録音もできない!? うちは一流オーディオメーカーだぞ」と、反対が起きてプロジェクトが潰れていてもおかしくないと思うんですよ。盛田昭夫会長(当時)の提案だったから、話は別なわけですが。
山内:そうかもしれません。さっき「破壊ではない」といいましたが、「ゴジラである、けれど、新しい」「古いけれど、新しい」って、口で言うのは簡単ですけれど…。
Y:蒲田くんの登場を「ゴジラ」に許容するかどうかなんて、トップの決断事項ですよね。どうやって了承してもらえたんですか。
山内:うーん…。これまでのゴジラを作ってきた中心メンバーが引いたあとでも、ゴジラについて「大切にしようと思っているもの」としての共通認識はある。トップが意識しているのは、最終的には、それを守れるかどうか。「こいつら(制作チーム)は、分かっている。大事なゴジラという東宝の資産を傷つけることはない」と、信頼してもらえたから、だと思います。
Y:具体的にはどうやって「分かっているな」と思ってもらえたんですか。
山内:考え、気持ちが分かりやすい、伝わりやすいのは、とにかくビジュアル、造形です。つまり「ゴジラ」そのものです。「今度のゴジラはこうなります」というところで「なるほど」と思ってもらえれば、そこから演繹される内容についても理解してもらいやすくなる。
ですので、社内的にはかなり早い段階で、今回メインになる第4形態の造形のひな形を竹谷隆之さんにお願いして作ってもらい、厳重に囲って会議室に持ち込み、役員に説明しました。「誰が見ても初代ゴジラに近い」造形を作り上げていって、そしてその造形には、ストーリーにつながっている新しさが含まれているわけです。具体的に言えば、ストーリーの基軸に「完全生物」というコンセプトがあり、姿を変えていく演出がある。それが、第4形態の造形の中に包み込まれている。
Y:ストーリーの内容を包含した造形で、かつ「最終的にこのかっこいいゴジラが大暴れします」という点でまず了承を得ておく。そうすれば、蒲田くんの登場も「必然性があるし、メインのゴジラを引き立てる演出なのだな」と、理解してもらいやすいと。
山内:そうです。第2形態に限らず、内容としての新しさに対しては、早め早めに理解をもらうようにしていました。みんなが気になりそうなところは、特に丁寧に説明し、意見をもらったりとか。
大作映画ではありえない「宣伝」
Y:大きな決断の裏には、この映画を地で行くような「根回し」「調整」があったわけですね。もうひとつ個人的に驚いたのは、この映画、長いエンドクレジットをほとんどのお客さんが、最後まで見ていることです。3回見ましたが、どれも「終」が出るまで皆さん座ったまま。
山内:やっぱりそうでしたか、私の経験でも皆さん本当に席を立たないんですよね。純粋に映画を楽しんでいただけている。嬉しいです。
庵野さんの発案で、「シン・ゴジラ」は、宣伝部の面々に苦労を掛けつつ、中身をほとんど出しませんでした。なぜそうなったのかと言うと、庵野さんが観客の皆さんを信じているからです。「お客さんは映画を予備知識なしで純粋に楽しみたいし、他の人もそうだと分かった上できちんと多くの人に伝えてくれるんだ」と、エヴァンゲリオンでの経験を通して主張された。
Y:映画の宣伝としての常識からすると?
山内:ありえないと思います。大作映画の「常識」ということで言うと、いかに、内容を事前に可能な限り広く伝えて、興味を持ってもらって、映画館に来てもらうかが「宣伝」なんですね。ですので、今回は本当に、観客の皆さんの、映画を見る喜びの深さとレベルの高さをものすごく再認識しました。「お客さんを信じるとは、こういうことだな」と。
Y:お客さんを信じる…とは。
ファンが完全に理解してくれた
山内:実は、あそこまで内容をひた隠しにしていると、映画が公開された瞬間、「シン・ゴジラはこんなお話だよ!」とSNSなどで書く方がたくさんいるだろうな、と、私は思っていたんです。それが、もう、いっさいなくて。
Y:本当に、涙ぐましいくらい、みなさん工夫されて、レビューや紹介を書かれていましたね。
山内:「予備情報なしで見て欲しい、という制作者の意図を、あなたにも感じ取って欲しいから、内容は言いません。でも、見て欲しいんです」と。作り手としてこんなにありがたい興業はない。中身についても、お客さんがこう楽しんでくれるだろうと僕らもある程度計算しながら作るんですが、その計算を越えた、予想もしなかった視点で、日本の政治のあり方だったり、自分の会社の壊れていることとか、こういう災害があったらどうなるんだろうという観点から、破壊されたビルの大家さんの純資産を調べてみたり。はたまた、キャラクター目線で萌えてみたり。本当に驚きです。
Y:ツイートのまとめを読んでいるだけでも、時間がいくらでも経つので困ります。
山内:全国440スクリーン、東宝の公開サイズ最大クラスでの興業で、告知を積極的にしない、多くのことを語らない選択は、凄く怖いことだし、勇気が要ることなんです。もちろん議論にはなりましたけれど、そこは庵野さんのノウハウと経験値を信じたと言うことですね。そしてなにより、この作品の出来に関して、我々製作者だけではなくて、他部門の社員からも「面白い」という声が高く、作品の出来を信じられた、ということだと思います。
Y:山内さんはどのタイミングで「面白い」と確信されたんですか?
山内:「これは」と思う瞬間は、人によって違うと思いますが、私がはっきり思ったのは、ラッシュのときです。編集の最初の、音楽もCGも入っていない状態でスタッフと見たときに、これまで、まったく見たことのないものを見た感じがしました。みんなで顔を見合わせて「これ…なんだろうね」と。この感じはなんだろう、言いようのない、でも面白いのは間違いない、というこの感じ。その時に一番感じました。自分たちで作っているのに、見たことのない新しいモノを見ている。ストーリーは分かっていた。完成にはまだほど遠い。でも凄く新しい感じがしたんですよ。
会社員なら楽しめます!
Y:山内さん自身が見たかったゴジラと近かったですか?
山内:僕が思うゴジラ、見たかったゴジラは、「怖いゴジラ」なんです。変遷があって、途中で人間の味方になった時期もあったけれど、僕が初代のゴジラに感じていたのは、畏怖の念。怖いけれど神々しさ、格好良さを感じてしまう。でも、もう圧倒的に怖い。そういう感じのゴジラ映画が見たい…と思っていた気がします。「シン・ゴジラ」は初代ゴジラと類似点を感じ取っていただく方も多いと思いますが、僕自身の体験で言うと、1984年に一度復活した「ゴジラ」にも近いです。
Y:前作(「メカゴジラの逆襲」1975年公開、興行成績はゴジラ映画の中でワースト1位)から、復活を期して9年ぶりに作られた、というところも似ていますね。
山内:世代抜けからの復活もそうですが、初代と同様、対戦怪獣がいない。「怖いゴジラよもう一度」も同じですよね。
Y:ただ、今回は「スーパーX」は出てこない。実はあの超兵器が出たところで「ああ、やっぱり、今まで通りの“怪獣映画”なのか」と当時思いました。今回は、そこに映画としての変化、世代代わりを感じます。
山内:声高に言うのは何なのですが、スーパー兵器はいっさい登場せず、「ゴジラ以外は全部本物」。今の日本でできることだけで立ち向かう、ウソはゴジラだけ。それが、ドキュメンタリータッチのこの映画のひとつの目標だったので。
Y:小田嶋さん(「巨災対の諸君、お家に帰ろう」)が指摘していたとおり、日本の会社員なら楽しめる映画だと感じています。とはいえ会社員はなかなか映画に行く時間も取れませんが、まだ上映は続きますか?
山内:ありがとうございます。まだまだ続きます!とお伝えいただいて大丈夫だと思います。
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