小田嶋:そう。音楽でも飯を食うのでも、あるいはテレビを見るのでも、今まで傍らにいた人間がいない、その味気のなさというのか、慣れなさというのがあるわけです。まして、話し合いの上で別れたのならともかく、大好きだったのに振られた場合というのは、これはとてもじゃないわけですよ。自分の心はまだ彼女のもとにあるのに、自分はたった独りであると。

 これは非常に耐えがたいことです。嫌いでさえ結構耐えがたいんだから、もし好きだったらこれはとてもじゃないです。どっちにしても、振られたにしても振ったにしても決裂したにしても、どっちみちこの3つのうちですけど、やっぱり一定期間は日常に戻るのにそこそこ苦労するわけですよ。

Y:かつての恋人と聴いていた音楽とか行っていた店とか、そういうところに引っ掛かっている。そこが酒と似ていると。

小田嶋:そうそう。たとえば「酒なしで旅行に行くのってどうよ」とかそういうことで、大丈夫は大丈夫なんだけど、ふっとあるとき手持ちぶさたになったときに、あ、こういうときにあいつがいないというのは、結構深刻な空しさがあるな、と。どうしようかな、俺はいったい何をしたらいいんだろうと思ってしまうんですよ。

 これが相手が女性だと電話しちゃうじゃないですか。でも電話でもしたら相手が「冗談じゃない」と言って会ってくれないかもしれない。やっぱりやめておこう。そうやって何とか日常に復帰しながら、彼女を……。

Y:忘れていくわけですね。

小田嶋:そうそう。一方で、電話したら「分かった」と言って復縁できちゃったら、これは別れられないですよ。「もう同じ人と5回ぐらい別れたんだけど、やっと本当に別れた」というのもよくあるじゃないですか。別れ話をして2週間会わなかったけど、やっぱりどちらからともなく連絡して、また3カ月、だらだらけんかしながら付き合ってとか。

人間だって、分かれるのは難しい

Y:そうですね。なるほど。で、酒は、電話するどころかコンビニで24時間買えるわけで。

小田嶋:そう。酒と分かれるのが難しいのは、その気になればいつでも手に入っちゃうということで、そんな200円かそこらでいつでも手に入るものから手を切るということの難しさというのは、これはなかなかね。

Y:たばこはそういうふうにはならないんですか。

小田嶋:たばこというのは依存物質だけど、たばこと共にあった経験というのが自分の人生を形づくっているわけじゃないんですよ。

Y:そうなんだ。

小田嶋:たばこを吸いながら見た映画は素晴らしかったけど、なしで見る映画はくだらん、とかそういう話じゃないんですよ。でも酒は、飲みながら見た映画とか、飲みながら見た野球とか、あるいは酒とともにあった景色とか、旅行に行って行きの電車の中でゆっくり飲みながら窓の景色を見るのって最高だよね、みたいなことがある。だから、酒なしで景色を見ていると、このしらじらしさは何だ、という。

Y:酒がないと「しらじらしい」という感じがする場所って、なるほどあるのかもしれません。

小田嶋:そうそう。それをレイモンド・チャンドラーは「色が薄くなったような」と表現したんですけど。世界から色が消えたような感じというのが、酒をやめるとずっとあるんですよ。

Y:失恋、というのは思いも付きませんでした。やっぱり、ある程度でもお酒に依存してみないと分からない感覚なのかな。

小田嶋:ルー・リードという人の歌の中に「ヘロイン」という歌があって、「Heroin, it's my wife and my life」と言っていますよね。だからヘロインは我が人生、我が妻と言っていますけど、ジャンキーからするとそういうことなんです。

Y:恋人、というのも考えてみれば、相互依存みたいなものかもしれませんけれど。

今も気がつくと思い出している……

小田嶋:ないと死ぬ、というほど必要じゃないけど、ないと人生がすごく味気なくなるぐらいなものですよ。なきゃないで済むけど。だから5年付き合っていた恋人と別れて、3年、4年たてばもうあんまり思い出すこともなくなったなとなるかもしれないけど、3カ月とかあるいは2週間とかだと、気が付くと思い出しているみたいな。

 酒も、「気がつくと思い出している」みたいな存在ではあるんですよ。酒そのものじゃなくて、酒にまつわるあらゆるもの。恋人も、恋人そのものじゃなくて、恋人とした経験だとか恋人と行った場所だとか、そういう経験とかいろいろな込み込みのものとして思い出す。

 ああ、だとしたら離婚した人はこの気持ちが分かりやすいかもしれない。離婚も、嫌な思い出もあるだろうけれど、何年か一緒に暮らした以上、何か素敵な思い出や忘れられない出来事はあるはずで、いなくなってせいせいした部分はともかくとして、いなくなったことにより、自分の人生のかなり大きな部分が意味を失ったということはあるはすよね。依存から離れることというのは、もしかしたら離婚に似ているんでしょうかね。

(おわり)



本格的に暖かくなり春も本格化、新年度の始まりです。この4月も、多くの学生が新入社員として羽ばたきます。大きな夢を抱きながら社会人としてスタートする一方で、同じぐらいに大きな不安を持っているはずです。そのような不安を少しでも解消すべく、NBOのコラムニストの皆様に、メッセージをいただきました。新入社員時代はどのようなアドバイスが身に染みたのか、そしてどのような心構えを持っているべきなのか――先輩の言葉をまとめました。

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