小田嶋:ある意味、悪く言えば生産性がすごく低かったんだけど、よい面を言えば、みんなが顔を合わせて知恵を出し合って作っていた感覚はすごく強いんですよ。雑誌にしても番組にしても。

Y:ありました。

小田嶋:「こんな面白い特集企画どこから出てきたんですか」「ええっと、誰だっけ」という。ワイワイ飲んでいるときに、じゃあ、これで行こうよ、それ最高! なんていって決まるみたいなのが、あるといえばあったんですよね。特にサブカルってそういうものだったんですよ。集団的な宴会芸の延長で雑誌が、番組ができている、みたいな感じだったんですよね。

Y:あったかもしれません。

小田嶋:だからサブカル周辺のライターというのは、大酒飲みである必要はないけど、座持ちというのか、そういうところに顔を出せる人間である必要というのはちょっとあって、やっぱり仕事と不可分ではあったんですよ。この本の中であんまり仕事と不可分だったというところの話はしてないけど。酒が深まっていく過程の中には、「仕事」は間違いなくあった、ということです。

Y:仕事全般にまで敷延できるかどうか分かりませんけれども、でもそれこそ普通の会社だって「終わったら飲みに行く」というのは私が入ったころって普通にあった。でも、これまたいつの間にか誰も飲みに行かなくなった。

小田嶋:飲みニケーションという言葉は今の若い人たちはすごく嫌うし、俺も好きな言葉じゃない。とはいえ、それって仕事の前提だったでしょう。

Y:そうなんです。前提だったんですよ。飲み会に出なかったので「あいつ人嫌いだ」くらいに言われましたからね。お茶なら喜んで付き合うのに。

小田嶋:ね。だから好きとか嫌いとかいうんじゃなくて、前提だったわけですよ。

 言い換えると、「飲みニケーション」という“のりしろ”がないと、会社組織というのは回らない、という前提があった。個々の人間の個々の能力というのは、それは勝手に発揮してくれればいいけど、その間のすき間を埋めるものは酒でしょうというのがあったわけですよ。

Y:先ほどの「酒の力で」「酒の場だから」というか、サブチャンネルみたいな。

小田嶋:そう。潤滑油がないと回らないでしょうとみんな思い込んでいたんですよ。

Y:実際、仕事の仕組みが大きく変わっていないなら、酒に限らずサブチャンネルは今でも必要なのかもしれませんが……。

小田嶋:私なんかは不幸にも仕事より酒が中心になっちゃったんだけど、同世代で「今の若いやつは酒に誘っても飲みに来ない」ということを嘆くヤツはすごく多い。

奢られると思うと、よけい行きたくなくなる?!

小田嶋:彼らは説教しようとか、やり込めてやろうと思っているんじゃなくて、善意でもって「若い部下に言いたいことを言わせてやろう」と、しかも自分の金で奢ってやろうと。どんなやつか知るには飲むのが一番だから、とか思って誘っているのに、「せっかくですけど」と言われるので、俺のこと嫌っているのかと思って傷つく、という。

Y:それってどっちも分かるな。

小田嶋:うん。やっぱりそれは、ある時代からは、「年の離れた男同士が飲むことに、何の意味があるんですか」という問いが発生しているわけですよ。

Y:改めて聞かれると、すごくまっとうな疑問ですね。

小田嶋:まっとうな質問です。だって、突き詰めれば意味ないでしょう。それで、若い人は「しょうがない、行かないでもない。だけど、奢られて借りをつくるのも嫌だし」みたいな気持ちになって。

Y:あー、若手は「貸し借り」って結構気にしますよね。

小田嶋:そうですね。奢られるのがうれしいかというと、借りになるわけだからあまり嬉しくないという。

 それで、この話をどう落とすかというと、昔は会社員の間で「奢る、奢られる」「面倒を見る、見られる」という関係が先輩と後輩の間にあったわけですよ。俺はお前の先輩なんだから俺が金を出す。それは実は、行ってこいのパターナリズムを持っていて、「俺の言うことが聞けないのか」という部分もあり、あるいは「男というものの本当の生き方を教えてやる」みたいな部分も、いかに善意とは言えやはり含んでいないわけではない。

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