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(前編から読む

Y:『上を向いてアルコール 「元アル中」コラムニストの告白』を読んで、下戸の私に面白かったというか、興味深かったのが、「アルコールは本来たいして面白くもない人間関係を演劇化する」という指摘なんです(P.116)。

小田嶋:Yさんは飲まないんでしたっけ。

Y:それなりに好きですが、量は全然いけません。そして、自分ひとりでバーに行く人の気持ちがよく分からなかったりします。

小田嶋:ああ、居ますね。

Y:お酒を飲むためにわざわざああいう空間が用意されているのはなぜなのか。そもそも独り酒というのがすごく苦手で、自意識が過剰なんでしょうけど、身の置きどころがなくなっちゃうんですね。しかもお酒に強くもないから、薄くなった水割りをいつまでも舐めているという。で「バーに行く人って何が楽しいんでしょう?」と。

小田嶋:バーに独りで行って独りで飲む人間というのは、ひとつ考えられるのはアルコールを摂取している人間ですよね。ガソリンを入れるみたいな。

Y:ええ、でも、だったら部屋で飲んでいても同じなわけですよね。わざわざバーで飲むというのは、もしかしたら「独り、お酒を飲んでいる自分」を演じるという、演劇的な楽しみがあるのかな? と、これを読んで思ったわけです。

小田嶋:外から見たら別にかっこよくもないけど(笑)。アルコール依存症ではないとしたら、酒を自宅ではなく、外で飲む意味って、カウンターの内側に居る人、見知らぬお客さんも含めて、やっぱり他人との関係の中にあるんですよ。

Y:何らかの関係性、コミュニティーと、お酒は切り離せない。

小田嶋:ええ。だから、酒を含んだコミュニティーに依存している人たちというのは、コミュニティー依存でもあるわけですよ。だけど、酒そのものに対して依存している人間は、独りであれ5人であれ10人であれ、あるいは旅行中であれ勤務中であれ、酒がないといけないという人たちです。

 アルコールそのものへの依存ではない大半の人は、独りで飲んでいるようで、マスターとの会話とか、他の人のやりとりが目当てだったりすると思うんだけどね。例えば「酔ったから言いますけど」とか、普段とは違う“酔っ払った自分”というキャラを作ることができるじゃないですか。そうすると、バカバカしい会話でも平気で入っていけたりする。仕事上の言いにくい話もできたりする。

Y:うーん。自分は酒が弱いんで、酔うこと自体を警戒するから、「酔っ払ったから言いますけれど」という便利なキャラになれないんですよね。仕事の飲みは、小田嶋さんはこなしていたほうですか。

「飲めないと仕事にならない」

小田嶋:1985年くらいかな、会社を辞めて、TBSラジオのアルバイトをしながらライター仕事もやって、「放送作家になろうか、どうしようか」、と思っていたころは、TBSの人とやたらとタダ酒を飲みまくって、お酒を覚えたという部分はあるといえばあります。

Y:なるほど。バブル前夜の1980年代。

小田嶋:そう。放送局周辺なんて打ち合わせと言っちゃえば伝票が切れちゃうわけだから、してみると放送作家との打ち合わせというのは、ディレクターにとっては一番飲む材料になるわけで、だから私はよく何だかんだと彼らと飲み歩いていたわけですよ。

 でもそのころの酒はまだまだ楽しい酒ではあったんですけどね。いよいよやばくなったのは独りで飲むようになってからの話なんだけど、でも飲む機会があれば必ず逃さず飲むというふうになっていったのは、そのタダ酒の機会と、しかもそのタダ酒が仕事につながっていたわけですよ。

Y:はー。

小田嶋:今の出版界はそうでもないけど、昔は「編集者は飲めないと仕事にならないよ」と言われていた時代があったでしょう。編集者もそうだし、放送作家、ディレクター周辺も、仕事というとだいたい飲みに行って、そこでやんややんややっているうちに話がまとまって、よし、それじゃこの線で行きましょう、えっと、どの線だったっけみたいなやつですよ(笑)。

Y:ああ。でも、そういう場がないとコミュニケーションが取れない時代でもありましたね。

小田嶋:そう。当時は携帯もメールもなかったから、編集者と書き手というのは、大作家じゃなくても、単なるパシリのライターみたいな俺でも、「とにかく会って密に話をする」という習慣だったんですよ。原稿を渡す、渡さないもそうだし、直す、直さないとかタイトルをどうしようかとかということをいちいちやっていたんですよ。それぐらい仕事を、まあ、つまらない手間をかけてやっていたわけですよ。