全7837文字

片山:「異なる意見が議論していくことが市民社会の姿だ」と、オバマは退任演説で述べました。ところが、いまは意見を言い合っても落としどころを見つけられない、よって対話にならない。自分と合う意見のところに行って「そうだそうだ」と気持ちよくなっていくだけです。もし反論を耳にしても「なんだよ、俺の気持ちよくないことを聞かせるな」になる。

「不愉快だから記事を載せるな」というコメント、よく頂戴します。レトリックかと思いましたが、そういう方は、本当に気分を害しているのですね。

片山:プラットフォームを用意しても、「敵か味方」を決めることにしか作用しない。私が日本の右翼研究の専門家だから、特定の片側についてだけ批判しているのかと誤解されても困るので言っておきますが、この現象は右も左も両方で起きていると思いますよ。リベラルも党派姓が強くなる一方です。

これはもう、人間の宿命ということなんでしょうか。

片山:そうかもしれません。少なくとも政治の世界は突き詰めるとそうなりますね。「自分と近い人と一緒にいたい」と考えるのは我々の本能でしょうし、そこから棲み分ける、ブロック化するという発想も出てきますし、自分に害を為すおそれのある者は「万人の万人に対する闘争」ということでやっつけてしまえというパターンもありますね。ホッブス的な人間像です。このホッブスの先に出てくるのがカール・シュミットで、「味方か敵かを決定し、敵を物理的に粉砕するのが政治だ」と主張して、ナチスのアイドルになりました。

繁栄は寛容とともに生まれ、排斥によって崩れ去る

…。だいぶ前に出た本ですが、米国の法学者、エイミー・チュアの『最強国の条件』で、これまでに世界を制覇した国は、同時代の他国に比べて「寛容」だったことを指摘していました。異民族、異文化、異なる宗教を受け入れることで、才能と労働力を惹きつけ、それをもって世界を制した、と。具体的には、アケネメス朝ペルシャ、ローマ、オランダ、英国、そして米国だったかな。

「一時代を築いた歴史上すべての”“最強国”は、人種・宗教・文化を問わず、世界の優れた人材を受け入れ、寛大に遇したが故に最強たりえた。そして寛容すぎたが故に不寛容が生まれた結果、ほぼ例外なく最強国は衰退し、滅んだのである」(同書紹介より)

片山:それは「帝国研究」の定石ですね。ひとつの価値観、言語で縛らず、いろいろなモノを認めつつ、土俵を広げて取り込む。取り込む中心が繁栄している姿を見て「ついていくと、いまよりいい思いが出来るかな」と、自然に周りが従っていく。強権ではなく、技術、建築物、文化で納得させる。で、広がりすぎると、真ん中の富が流出し始めて、「これはよそ者のせいだ」となって、寛容さを失い、周囲が離れていき、没落に至る。

まさにそのような話です。非常に面白かったです。著者は、米国の未来がこうならないといいな、と願って書いたようですが。

片山:挙げられている“最強国”は、「成長につながる革命」を、世界に先駆けて起こした国です。米国も英国も、そしてオランダもそうですね。オランダは小さな国ですが、あちこちで迫害されて集まってきたキリスト教のプロテスタントの才能ある人々を集めることで、科学技術で世界の最先端に立ち、航海術も軍事も発達させて、覇権国家になった。

ああ、それは『大学入試問題で読み解く 「超」世界史・日本史』の、東大の論述問題に出たやつですね。