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―― 九龍城突入、ダンジョン攻略、みたいな。

:そうそう。「…やっぱり帰ろうか? 寒いし、トラックすごい勢いだし」とか。それを乗り越えて別世界に放り込まれるとどうなるか。撮った写真を見ると分かるんですが、最初はどこを見ていいか分からないから、目に入る「なにこれ?」なものをでたらめに撮りまくっている。

―― 怖くて、興奮して、大慌てで。

:ですが、あとで資料として一番使えたのは、このときの「状況に押し流されつつ撮った」写真でした。ポイントが絞れない分、いろいろな物が写りこんでいました。

 そういえば、迷惑かけないように一生懸命小さくなりつつ取材しているつもりでも、市場の中の人から見れば「なんだあいつらは」と感じるようで、最初の頃に、撮った写真を引き伸ばして見ると、こちらを睨んでいる顔が必ずある。おっかないですね。

―― 観光客がいない時間帯だから目立ったんでしょうか。

:それだけではないと思います。どんな仕事場でも、一番忙しいときに無関係な人間が紛れ込んでいたら「むっ」と感じるじゃないですか。Yさんの職場も校了間際に知らない人が来てウロウロしながら「この“トルツメ(注:校正の指示)”って何ですかあ?」とか聞かれたら「出てってくれ」って思うでしょう。

―― かもしれない。

そのまま伝えるために、「整理」が必要

:それが、半年も通ったころの写真を見ると目を向けてくる人がいなくなりました。僕らも状況に少し慣れたんでしょうね。編集者が歩く速度を変えずに通路を横断すると、その直後をすーっとターレが横切る。呼吸みたいなものがあるようです。その頃、「一度現場を見たい」というので連れて行ったデザイナー氏は、タイミングがつかめず通路が渡れない。「おお、僕らもああだったのか!」と、ナゾの先輩気分になりました。

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―― 取材を通して、場と自分のリズムが合ってくるんですね。

:結果的にそうなんでしょうね。むしろ引っ張り込まれちゃうというか。でも、そうなっても「自分も築地の一員…」と勘違いしてはいけないでしょうね。その上で、相対化するんです。

―― ふむ。

:別のたとえをすると、「複雑な(小田急線)下北沢の乗り換えには慣れた、構造も見えてきた。でも自分は通勤者じゃない」と。あくまで、その時のその場の雰囲気を伝える、というのが、僕のやるべき仕事…みたいです。

―― 場の雰囲気を伝えるのに、写真ではなく手描きの絵、という理由は何でしょう。あれだけ細かく描き込んでも、写真よりは細部の情報は落ちざるを得ないわけですよね。

:紙に描くのが好きなんですよ。対象を目でなぞりながら描いていると、また分かってくることも多いですし。例えば上から見た仲卸の図なんて、今ではドローンなどを使って写真で撮ることは出来ると思います。鳥瞰図を描くことが特技でなくなっている。けれども、実際にやったみたら、画面のほとんどがぶら下がっている袋で埋まってしまうのではないでしょうか。

―― そういえば、写真を撮るときの基本は、背景から要らないモノをどかすことだ、と聞きました。

:イラストは、描き手が情報の交通整理をすることができますね。だから、どこを見るべきかが分かりやすくなる。

 築地市場のような、わけが分からないくらいの過剰さが生み出すライブ感に乗ってしまって、整理せずに出せば、写真だろうが絵だろうが、単なる「その日の思い出話」になるんです。そうなると、受ける方が戸惑い「なに、これ?」と言われてしまう。聞いた人が「その場にいる」ように感じるためには、伝える際に、絞ること、整理することがどうしても必要だと思います。

―― 「場」をそのまま伝えるために、整理が必要。

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