2013年の晩秋、企画の相談でモリナガ・ヨウさんと東京郊外のファミレスで待ち合わせていたときのこと。モリナガさんはなんだか憔悴して、しかし眼だけは異様にぎらつかせてやってきた。なにをしていたのかを聞くと「絵本の取材で、夜から築地に行ってきたんです」という。すごいすごいどこから手をつけていいか分からない、と何度も繰り返していた。
モリナガさんは、1990年代の町歩き本なのに未だに現役で棚に並ぶ『東京右往左往』や、最近では『図解絵本 東京スカイツリー』から、『東京大学の学術遺産 君拾帖』、東大の加藤陽子先生とコンビを組んで、東京大学出版会の雑誌「UP」に日本の近代外交史を描く「となりのシガク」を連載、『ワールドタンクミュージアム図鑑』や『プラモ迷宮日記』など、マニアックなものから近現代史、そして日本の様々な「現場」を描いてきた。
世間はスマートフォン全盛。素人が内蔵カメラで撮り、そのままネットに流せば、映像情報として世に出てしまう。モリナガさんはそれでも手描きにこだわり、紙の上を主戦場に人気を集めている。着手から約3年がかりで完成した『築地市場』を通して、「手描きイラストルポライターの仕事」を聞かせていただこう。
―― おつかれさまでした。2013年の夏から昨年末の完成まで、何度お会いしても電話しても「いや、全然終わらんですね」と呻いておられたような気がします。
モリナガ・ヨウさん(以下モ):長くかかりました。壮絶にゴチャゴチャした訳の分からないものをまとめないといけない。ひたすら夜の場面が長かった。去年の夏、薄暗い空気感を伝える画面たちを描き終えるまでは本当に進まなかったですね。夜が明けたら、その先はすかんと抜けて、残しておいた説明絵は怒濤の勢いで進みました。昨年8月の段階で、編集の方も「これはまだまだ完成しないのでは」と思っていらっしゃったみたいでしたから。
―― とはいえ、スカイツリーをはじめ「でかい話」をイラストルポにするのは初めてではないですよね。編集さんもそこを見込んでモリナガさんにお話を持ってきたのではないですか。
モ:実は、最近担当編集者と話をしまして。「イラストルポのモリナガに、築地市場の絵本を」、という組み合わせで、できあがりやスケジュールのイメージは、企画書を出す訳ですから当然あった。自分でも、「それなりに場数を踏んでいるし、このくらいの期間で」と計算はしていました。けれども、2013年の秋、夜中に初めての取材に行ってみたら、あっさりその予測値のはるか上を行ってしまう情報量に、「どうしよう、どう切り取ろう」と。
―― 予想外の迫力に。
よくこんな冒険をしたもんだ、と
モ:押し流されて打ち上げられた場所で「ゼロから考えましょう…」と。ぶっちゃけお互い「築地をなめてました!」でした。で、2年半の冒険を経まして、いまやっと終わった。振り返ってみると「よくこんな相手に挑もうと思ったなあ」という感じです。
―― ひたすら夜が長かった、とおっしゃいましたが、具体的に何がそんなに大変だったんでしょうか。
モ:そりゃもう、単純に塗り重ねる手間が! …はともかく、暗さと明るさの塩梅が難しかったです。
単に暗闇ではなく、その中に詰まっているものを見せなければいけないので、それなりに重圧がありました。そうなるとずっと夜みたいな気分になって気持ちが晴れないんです。
―― どう乗り切ったんですか?
モ:最初は暗いけれど、ページが進むごとにだんだん明るくしていきたいと考えたんですよ…いや、ここは笑うところじゃないですよ! いったん朝になってしまうと描いている方も気持ちを戻せないし。ほら、デザイナーさんも、絵に合わせて載せる文字の色をだんだん明るくしてます。
―― …ほんとだ!! 文字を含めてページがだんだん明るくなっていくんだ。
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