現地は、とにかく夜もどうなるか分からない状況です。当日から鎮火後の3月上旬まで、役員を含め現地で泊まり込みの対応に当たりました。

 ちょうど、物流センターの機器を増強する工事のためのプレハブ小屋が近くにありまして、そこを現地対策チームの拠点にできたのです。また、プレハブ小屋の隣にある佐川急便さんの営業所が、急遽、会議室を空けて仮眠所を作ってくださり、そこにも数人が寝泊まりをさせていただきました。本当に感謝しております。

 3月上旬以降も現地での対応は通いでずっと続けております。我々の責任をどう果たしていくべきかを考えた時に、やはりご迷惑をおかけしている近隣住民の方々にきちっとおわびをして尽くす、そして、ご安心していただくということがとても大事です。とにかくできることは全力でやろうと、住民を対象とした医師による検診や環境汚染の調査などもさせていただきました。

 毎日通うことで、三芳町の町長さんや役場の皆さん、消防団長さん、それから、あそこは非常に歴史ある町なので、区長さんという方もいらっしゃって、そうした方々とも頻繁にお話をさせていただきました。

 3月7日に住民説明会を開いたのですが、予定通り1時間で、皆さんにご納得いただき、逆に応援のお言葉まで頂戴して終わることができ、最低限の地域への責任というのを果たすことができたのかなと思っております。

 雇用の継続というのも、地域に対する責任の一つです。災害のあったセンターには750人ほどの登録従業員がおりました。1カ月間の給料の保証をした上で、近場の埼玉県日高市に代替の物流センターが見つかりましたので、その日高センターに300人ほど、また所沢センターにも150人ほどの方に働きに行っていただいております。

社員が自主的に物流支援

 我々にとっては、ネット通販のサービスをご利用いただいているお客様にどれだけ尽くせるか、ということも大事でした。すぐに、ほかの物流センターからの出荷に切り替えましたが、ロハコ事業において、最大で10日程度の遅れが生じてしまっていたのです。

 とにかく人海戦術で荷物を出そうと、夜間も土日もなく既存の物流センターをフル稼働させることに注力し、10日遅れから、1日、2日と納期が早くなりました。ただし、現場の人たちも休まなければなりません。当社の社員が自主的に動いてくれたのは幸いでした。

 600人以上の社員のほぼ全員が、仕事が終わった後の夜間や休日に物流センターに出向き、総出でピッキング作業などを手伝ったのです。平均すると1人あたり7~8回、延べ4300人が出向いた計算になります。強制はしていません。それだけ、お客様にこれ以上ご迷惑をかけられないという危機感や緊張感が全社に行き渡っていた、ということだと思います。

 もともと当社には、物流センターに停電など何かあった時、「義勇兵」と言って自分で手を挙げて支援に行く文化がありました。単に口先だけで「お客様のために」と言うのではなく、実際に全力を尽くすというカルチャーが、新入社員も含めて全社員に改めて伝承できたのではないかと思います。

 一方で私は、代替の物流センターを見つけるというミッションに集中していました。火災発生の翌日から鎮圧まで毎日、現地へ足を運んでいましたが、役員や社員のみんなに、「スタンドプレーでいっても仕方がないし、それぞれのミッションをやろうよ」と言われたこともあり、休日も含めて千葉や埼玉など関東近郊の物流倉庫を何カ所も見て回りました。

 その結果、先ほどお話しした日高市の倉庫を借りることができたのです。4月3日に契約して立ち上げ、4月20日には出荷を開始しました。