今春、セブン&アイ・ホールディングスのトップを突然、退任した鈴木敏文。創業オーナー・伊藤雅俊との絶妙で微妙な関係の中で、鈴木は「孤高」の経営を貫いた。複数回のロングインタビューを基に、変化に挑み続けた男の矜持を新たに読み解いていく。 =敬称略

本記事は、日経ビジネス2016年8月22日号「集中連載 鈴木敏文『孤高 変化に挑みづづけた男』」の「第1回 辞めさせられたわけではない」からの転載です。8月29日号掲載の「第2回 中内さんの下だったら1年で辞めた」も併せてお読みください。 日経ビジネスオンライン無料会員の方でも、無料ポイントを使ってお読みいただけます(月10本まで)。
<b>鈴木敏文氏[すずき・としふみ]</b>1932年12月、長野県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。63年にイトーヨーカ堂へ転職。73年にヨークセブン(現セブン‐イレブン・ジャパン)を設立し、コンビニエンスストアを日本に広めた。コンビニに銀行ATMを置くなど、常識にとらわれない改革を実施。2016年5月にセブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)から名誉顧問に退いた。人生観は「変化対応」。(写真=的野 弘路)
鈴木敏文氏[すずき・としふみ]1932年12月、長野県生まれ。中央大学経済学部を卒業後、東京出版販売(現トーハン)入社。63年にイトーヨーカ堂へ転職。73年にヨークセブン(現セブン‐イレブン・ジャパン)を設立し、コンビニエンスストアを日本に広めた。コンビニに銀行ATMを置くなど、常識にとらわれない改革を実施。2016年5月にセブン&アイ・ホールディングス会長兼CEO(最高経営責任者)から名誉顧問に退いた。人生観は「変化対応」。(写真=的野 弘路)

 7月上旬、東京・四ツ谷のセブン&アイ・ホールディングスの本社9階。そのひと月半前まで、同社のトップとしてこのフロアに執務室を持っていた鈴木敏文(83歳)の姿があった。子会社セブン-イレブン・ジャパンのトップ人事の混乱を経て、鈴木は5月26日の株主総会で会長兼CEO(最高経営責任者)の座を辞している。名誉顧問となった今はホテルニューオータニに事務所を構えて、本社とは距離を置く。

 この日、鈴木が本社を訪れたのは、名誉会長である創業者・伊藤雅俊(92歳)と食事をするためだった。場所は名誉会長の部屋。鈴木と共に経営の一線から退いた前社長の村田紀敏(72歳、現顧問)、今年、イトーヨーカ堂社長に復帰した亀井淳(72歳)も一緒である。

 鈴木がセブン&アイのトップを辞した主な理由の一つが、創業家との確執だとされる。セブンイレブン社長だった井阪隆一(58歳、現セブン&アイ社長)を退任させる鈴木の人事案を、伊藤は承認しなかった。取締役会に諮る前、村田が伊藤の意向を確認した際、予期せぬ反対を受けたのである。

 人事の混乱に乗じ、創業家が実権を取り戻しに動いたのか──。社内外は“お家騒動”が起きたと見た。

 だが、鈴木は否定する。

 「不仲なんてことは全然ない。けんかも一度もしたことがない。だからこの前も一緒に食事をしたんだ。(名誉会長が)外で食事をしようと言うから、いつものように名誉会長室にしましょうと言ってね。僕はよく前から、名誉会長と部屋で一緒にすしを食べていた」

 「どんな話をしたかは内緒。でも、率直なことを話した。後継者についてはこうですよ、ああですよ。会社のこれからのこととかね」

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