東日本大震災で津波被害を受けたが、補助金を受けて会社の復旧を目指した。事業を拡大しようと新工場の建設にも着手したが、不正疑惑が起こる。宮城県の刑事告訴で信用を失い万事休す。「県に潰された」と憤る。

[シンコー社長] 丹野耕太郎氏 
1950年生まれ。高校卒業後、家業で水産加工、販売の丹野商店(宮城県石巻市、後に丹野水産)に勤める。退社して87年7月、水産物の加工、卸売業のシンコーを設立し、社長に就任。売上高は2009年6月期の約18億円をピークに減少。東日本大震災による津波で工場が被災。
シンコー倒産の概要
日本大震災で津波被害を受け、操業を停止。国と宮城県からの「グループ補助金」を活用して本社工場を復旧し、宮城県登米市に新工場の建設を開始。だが、不正受給の疑いをかけられ2013年11月、県から刑事告訴。補助金返還を迫られた。その後、告訴は取り下げられたものの信頼は失墜。資金繰りも悪化し、今年2月26日、民事再生法の適用を申請した。

 東日本大震災から5年が過ぎました。ですが、5年を迎えることなく今年2月26日、仙台地方裁判所に民事再生法の適用を申請しました。

 復興補助金の不正受給という、あらぬ疑いを宮城県からかけられ、すっかり信用を失いました。話が進んでいた新規融資や取引はすべてストップ。資金繰りが滞り最後は民事再生手続きを申請する以外に、なすすべはありませんでした。本当に無念です。

発注先からの訴訟は不可思議

 私たちは補助金の不正受給などしていません。それなのに、宮城県は、「不正受給をした」と言い張りました。明らかにシンコーを狙い撃ちにして潰しにかかったこの動き。私は背後に政治的な大きな力を感じざるを得ません。

 宮城県石巻市で水産加工業を営んでおりましたが、工場が津波で被災したため、操業停止に追い込まれました。つらい出来事があった後、従業員や家族とともに必死になって工場の復旧に努めてきました。

 復旧への道筋が見えたのは国や県による支援があったからでした。石巻の本社工場を復旧するとともに、津波災害の教訓から内陸部に新工場を作ることを決めました。

<b>宮城県登米市の誘致を受け小学校跡地に、建設していたシンコーの新工場。稼働すれば売上高40億円、従業員100人規模の工場になる予定で、地元の期待も大きかった</b>
宮城県登米市の誘致を受け小学校跡地に、建設していたシンコーの新工場。稼働すれば売上高40億円、従業員100人規模の工場になる予定で、地元の期待も大きかった

 建設費は28億円。その一部、魚介エキスを製造する区画の建設、設備費についてグループ補助金を申請して2011年12月に11億325万円の交付決定を受けました(編集部注:グループ補助金は震災で被災した中小企業などのグループに対し、国と県が復旧整備費の最大4分の3を補助する仕組み)。

 翌年、宮城県登米市からの誘致を受け、小学校跡地に工場を着工しました。完成すれば売上高40億円、従業員100人規模になる予定でした。

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