時に時勢に見放され、時に敵襲に遭い、時に身内に裏切られる――。栄華興隆から一転して敗戦に直面したリーダーが、おのれの敗因と向き合って問わず語りする連載「敗軍の将、兵を語る」を、「日経ビジネス」(有料)では原則毎号掲載しています。連載の魅力を知っていただくために、2018年3月の月曜から金曜まで、過去2年間に登場した「敗軍の将」たちの声を無料記事として転載・公開します。

(日経ビジネス2016年10月10日号より転載)

450年の伝統がある広島県三次市の鵜飼いが開催中止の危機に陥った。25羽いた鵜飼いの鵜のうち14羽が相次いで病死したためだ。急きょ取り寄せた若い10羽の鵜を使い、鵜飼いの開催に間に合わせた。

[三次市観光協会 会長]
信國 秀昭氏

1952年広島県生まれ。三次市観光協会に入会し、2000年に協会理事に就任。2004年には副会長も兼任。2012年から会長兼代表理事に就任した。広島県三次市の旅行会社「広島内外旅行」の代表取締役も務める。

SUMMARY

鵜飼いの鵜、大量死の概要

450年の伝統を誇る広島県三次市の鵜飼いにおいて、2016年1月から3月にかけて飼育していた鵜14羽が相次いで病死した。原因は冬場に水分不足によって脱水症状を起こし、それがきっかけとなって腎障害になったことだった。開催中止の危機に陥ったが、急きょ若い10羽の鵜を購入。短期間で鵜飼いの訓練をし、かろうじて開催にこぎつけた。

広島県三次市の馬洗川で毎年開催される鵜飼いの様子。鵜匠が鵜を操って川にいる鮎を捕獲する様子を観光客が遊覧船の上から見学して楽しむ(写真=三次市観光協会)
広島県三次市の馬洗川で毎年開催される鵜飼いの様子。鵜匠が鵜を操って川にいる鮎を捕獲する様子を観光客が遊覧船の上から見学して楽しむ(写真=三次市観光協会)

 広島県三次市の鵜飼いは450年もの歴史があるもので、戦国時代から続く伝統があります。毎年6月から9月まで三次市内の馬洗川で行われており、鵜匠と呼ばれる人が船の上から手綱でつながれた鵜を操って、川にいる鮎をとる様子を遊覧船の上から観光客の方に見て楽しんでいただいています。

 三次市の鵜飼いは歴史や伝統から見ても地域で一番の観光資源だと考えています。当然鵜がいないと成り立たないわけですが、25羽いた鵜が2016年の初めから14羽も死んでしまいました。具体的には1月に6羽、2月に6羽、3月に2羽の合計14羽が相次いで死んでしまいました。鵜飼いを楽しみにしてくださっている方にご心配をおかけしてしまいました。

鵜は野生を捕獲して、鵜匠が3年ほど訓練して鵜飼いに使う(写真=三次市観光協会)
鵜は野生を捕獲して、鵜匠が3年ほど訓練して鵜飼いに使う(写真=三次市観光協会)

 三次市の鵜飼いは毎年2羽ほどの鵜を新たに購入していますが、これは老衰で死んだ鵜の入れ替わりのためです。今回のようにこれだけ大量に死ぬことは過去もありませんでした。

 1月に鵜匠から鵜が次々と死んだと聞いて、大変驚きました。私は野生の動物の専門家ではありませんが、原因として考えたのが鵜の飼育場の整備工事でした。整備工事には下地のコンクリートを新しいものに変える工事が含まれていました。その工事の過程で古いコンクリートを削岩機のようなもので壊していく作業がありました。鵜はとても繊細な生き物ですので、工事の音や振動が鵜にストレスを与えたのではないか、それが死んだ原因なのではと思いました。しかし工事の後も鵜が死んでいく中、それは原因ではなさそうだという話になりました。その後、獣医の方と話し合った中で出たのは鳥インフルエンザの可能性でした。

 すぐさま広島県の専門部署に死んだ鵜を検査してもらったのですが、鳥インフルエンザではありませんでした。それ自体はよかったのですが、原因がなかなか判明しないことに戸惑いました。

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