時に時勢に見放され、時に敵襲に遭い、時に身内に裏切られる――。栄華興隆から一転して敗戦に直面したリーダーが、おのれの敗因と向き合って問わず語りする連載「敗軍の将、兵を語る」を、「日経ビジネス」(有料)では原則毎号掲載しています。連載の魅力を知っていただくために、2018年3月の月曜から金曜まで、過去2年間に登場した「敗軍の将」たちの声を無料記事として転載・公開します。

(日経ビジネス2016年12月26日号より転載)

大阪の財界人や著名人らが利用してきた「大人の社交場」。老朽化で事業継続が困難となり32年の歴史に幕を下ろす。所有会社の度重なる変更で抜本的な改修が後手に回った。

[堂島ホテル社長]
山元貫司氏

1967年生まれ。98年、旅行会社を大阪市に設立して社長に就任。婚礼事業など事業を拡大。米ハワイでの挙式なども手掛ける。2011年、堂島ホテル(大阪市)から婚礼事業の運営を受託する。2014年5月から現職。

SUMMARY

堂島ホテル閉館の概要

大阪市北区堂島浜にある堂島ホテルは1984年の開業。バブル経済の崩壊後、経営難に陥り運営会社が破産するなど、複数回、所有者が入れ替わり、ホテル名が変わるなどの紆余曲折を経た。現在の運営会社「堂島ホテル」は2010年の設立。現在の保有会社はウェルス・マネジメント(東京都港区)。老朽化などのため2016年12月27日に閉館する。

 1984年に開業して以来、多くのお客様を迎え、様々な方が集い、たくさんの思い出を刻んできました。ですが、今年12月27日を持ちまして閉館する決定を去る9月にいたしました。長い歴史を刻んできた分、建物と設備の老朽化は著しく、一時的な補修工事だけでは対応できない事態になったことが大きな要因です。

 お客様をはじめ関係者の方々には大変、お世話になりました。私が堂島ホテルの事業に関わったのは2011年からですが、その前から個人的に大好きなホテルでしたし、私自身の結婚式もここで挙げました。ここで仕事ができたことは何よりの喜びです。

 ただ、堂島ホテルの最後の社長になってしまったことはとても残念です。皆様に心より感謝申し上げるとともに、この閉館でご迷惑をおかけすることを心より深くおわび申し上げます。

紆余曲折の歴史をたどる

 堂島ホテルが開業した直後、日本はバブル経済に沸きました。1990年代の堂島ホテルには絵画がたくさん飾ってあったり、(フランスのガラス製品の高級ブランド)バカラのシャンデリアがホール中央にあったりととても華やかでした。7階にあるバー「堂島倶楽部」は当時、会員制で、よく言われる「大人の社交場」の雰囲気がありました。

 ですがその後、運営会社の経営破綻などから、オーナーが何度か代わりました。改装に次ぐ改装でホテル名も代わり、ショップも変わり、幾度となく変化しました。増築もしています(編集部注*)

 現在の姿に改装したのは2006年です。空間デザインを手掛ける著名人のトランジットジェネラルオフィス(東京都港区)の中村貞裕社長にプロデュースしていただきました。そして現在の運営会社、堂島ホテルも設立されました。

 何度か改装はしているものの、抜本的な建物の改修は置き去りになっていました。経営が厳しくそこまで手が回らなかったのだと思います。分かりやすくクルマに例えれば、30年前からエンジン部分は替えておらず、外装やシート、ハンドルだけ替えていたのが実情です。

 そのため、建物の老朽化が進んでしまったのです。例えば空調の入れ替えは急務でした。が、工事するには天井を抜かないといけない。営業しながらの工事は不可能で、部分的に閉鎖せざるを得ませんが、売上高が減り経営が厳しくなる。何よりお客様にとっての安全、安心、快適が最優先ですから、その意味でも部分営業での改修は難しい。

 大規模な修繕をしてホテルを存続させるかどうか、オーナー側とも議論を重ねました。そして、最終的に閉館を決めました。閉館は本当に残念ですが、経営的に最善の方法だと判断したのです。

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