市場や競争の環境が変わってきたことで、従来の事業モデルや製品、サービスだけでは、生き延びていくことが難しいと感じている企業が少なくないと思います。これは、日本企業だけが直面しているわけではなく、海外企業でも同じような状況にあります。

 そこで、これまでとは全く異なる、分野を横断するような課題を解決するための手法を提供することに活路を見出そうとする企業が増えてきました。ただしそのような手法は、自社で確立してきた技術や知見だけでは実現できない場合が少なくありません。

 2000年の初めにヘンリー・チェスブロウ教授により提案された「オープンイノベーション」は、不足する知見や技術などを、相互に補完しながら事業を開発・運営していくことで顧客価値を創造・実現することを目的に提唱されました。そして、そのような取り組みも実際に始まっています。

 その後、より社会に広げるとともに、ネットワークを利用して大きな課題を解決していく方向に進化し、その取り組みを「オープンイノベーション2.0」と呼ぶようになりました。地域、個人、企業や行政など、より広い関係者が関わり、大きなうねりを作り出すように展開していることが特徴です。今回のシリーズでは数回に渡って、この「オープンイノベーション2.0」について、議論していきたいと思います。

過去の栄光が捨てられない日本

 オープンイノベーションが求められている状況、それにもかかわらず日本が実践するのを苦手としている背景について、まず解説していきます。日本は、第2次世界大戦の敗戦後、高度経済成長の時代は、少しでも良い製品を、できるだけ安く、大量に生産することで国全体が成長してきました。

 こうした「モノづくり」では、米国を脅かす状況にまで進化しました。1970年代以降の繊維や鉄鋼、自動車や半導体、テレビやビデオなどを巡る貿易摩擦が象徴的です。

 日本をはじめとする後続国に苦しめられてきたことで、米国は「モノづくり」だけで世界で勝負することの限界を、いち早く体感しました。そして、社会システムやその仕組みを作り上げることや、そのための手段となるコンピューターやソフトウエアといったIT(情報技術)に活路を見出していきました。

 冷戦期に軍事や航空宇宙などの分野で活躍してきた科学者や技術者の多くが、こうした取り組みに身を振るということも起きてきました。実際に、NASA(米国航空宇宙局)のトップクラスの少なくない人材が、IT関連企業に移っていました。多くのソフトウエア技術が開発され産業に応用されて、経営効率や・研究開発のスピードを上げてゆくなどのITの産業応用が進んでいっています。

 日本もその後同じように、「モノづくり」だけでは世界で勝ち抜けない状況に陥り、その対応に追われます。しかし、米国と大きく異なっているのが、それでも「モノづくり」一辺倒の姿勢を崩していないように見える企業が少なくないことです。数年前からのコラムでも何回も書いてきました。

 いまだに「モノづくり」への過剰な信仰を捨てきれないためのように見えます。特に、現在の経営者の世代といえば、当時の日本の「モノづくり」を考えると分かるのですが、国も企業も自分たちの処遇も右肩上がりでグングン伸びていった成功を経験しているので、それが忘れられないのかもしれません。

 1970年代前半に入社した世代が多い現在の経営者たちは、初任給の月給約6万円から、毎年、月給が2万円程度上がっていった状況が、数年続きました。しかし、1990年代半ばから現在までは、初任給の平均は月給20万円程度で変わらず、しかも、昇給の伸びが鈍化しています。