実家は建設金物の町工場
吉田さんは約30年前に1人で事業をスタート、今では売り上げが100億円を超える企業に育て上げました。どのような状況から会社を立ち上げられたのか。会社設立までの経緯を教えて下さい。
吉田:高校を卒業後は、父が営んでいた町工場で働いていました。溶接で手すりや門扉など建設金物を作っていました。ところが、その仕事が私には全然合っていませんでした。父には言いづらかったのですが、兄に辞めたいと相談しましたら「好きなことをすればいい」と言ってもらえましたので、雑貨メーカーに入ったんです。雑貨メーカーでの仕事は楽しかった。でも、私も若かったからだと思うのですが、こういう商売は自分でもできるのではないかと思い、入って半年たった頃、1人でやることを決めてそこを辞めました。基本的には、自分がサラリーマンを続けていくという思考は一切なかったですね。

吉田:最初はメーカーが作ったものを仕入れて売る、問屋を始めたんですが、メーカーにはなかなか製品の仕入れをさせてもらえません。メーカーも、20歳くらいの若造に「売ってくれ」と言われても不安でしょう。それでも、日参すると少しずつ仕入れさせてもらえるようになりました。ですがこの商売、儲かるどころか食べていくのもやっとという感じです。ただ、当時は実家に住んでいましたので、ご飯は食べさせてもらえましたし、親も姉も兄も何も言わずにいてくれました。
とは言え、このままではダメだ、何か手を打たないと、と思いました。当時の問屋業は、セールスマンの人数と売り上げが比例する商いです。なので売り上げを大きくしようとすれば人を増やすしかありません。ですがその時は、人を雇う勇気もありませんでした。であればメーカーになることで、1人でももっと売り上げを大きくできるのではないかと考え、仕事をモノづくりに変えることにしたんです。
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