だが、5月頃からにわかに客室稼働率が上がり始めた。復興需要の影響だ。そんなとき、黒田が、社内幹部の信頼を完全に勝ち取る出来事が起きる。
金融機関にたんかを切る
何度目かの金融機関への説明会でのこと。予定より少しでも利益が出ると、返済に回すよう繰り返し要求する金融機関側に、黒田がいすから立ち上がり、毅然と反論した。
「震災後、被災地の店舗の支配人や社員たちは、一人二役、三役で頑張っています。予定を超えた利益は、施設の修理などに使わせていただきます」
終了後、役員たちから「あれはよかった」との声が上がった。「肝が据わっていて度胸がある。決めなければいけないときに決められる。リーダーとして、とても心強い」と副社長の新海則子は太鼓判を押す。
社内の結束が深まるのに伴い、客室稼働率も回復。12年6月、黒田は晴れて社長に就任した。9月の連休中には全店満室を達成。11月には銀行取引も正常化した。そして開業30周年を迎えた15年度には、年間の平均客室稼働率としては過去最高の85%に到達。16年3月期は売上高801億円、経常利益は177億円と、いずれも過去最高を記録している。

「負けず嫌いで何事も途中で投げ出さない」。大学院修了後、一般社員として黒田が東横インに入社したとき、直属の上司だった副社長の新海は、黒田の性格をこう話す。
新入社員の黒田が配属されたのは、新店立ち上げに携わる営業企画部。わずか3カ月の間に、建物が設計図通りにできているかといった現場のチェックから従業員の採用や研修、室内に据え置く備品の発注などオープンに関わるすべてを準備する。
1つのホテルにつき、1人の社員が担当するのが決まりで、それは新人である黒田でも同じこと。黒田はこうした仕事が向いていたのか、水を得た魚のようにバリバリ働いた。一度も「社長の娘」「後継者候補」と特別扱いされることはなかった。
さらに新海はこんなエピソードも明かす。年に一度の社員総会の余興として、エリア対抗運動会が開かれたときのことだ。黒田は本社チームのアンカーとしてリレーに参加した。真面目でいつでも一生懸命、負けず嫌いな黒田は2人を抜いて優勝した。
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