2016年、25年ぶりに広島東洋カープがセ・リーグ優勝を果たした。優勝パレードでは30万人超が詰めかけ、広島市内はカープの赤い旗を振る人々で真っ赤に染まった。しかし、勝てなかった25年の間、カープ球団の松田元オーナーに批判の矛先が向けられたこともあった。日本のプロ野球球団の中で唯一親会社を持たない広島カープは、高額な年俸でスター選手を入団させられなかったことも理由のひとつだ。それでも松田元オーナーは、地道に選手を養成し、黒字を維持しながら、今回ファンとともに優勝を勝ち取った。前編である今回は、松田オーナーが乗り越えたHARD THINGS(困難)の数々とその原動力について聞いた。

この度は、25年ぶりのセ・リーグ制覇、まことにおめでとうございます。

松田:ありがとうございます。

今日は、なかなか勝てず、経営が苦しかった時期の話を伺いたいと思って参りました。実は日経BPは『HARD THINGS』(ハード・シングス)という書籍を発行しました。著者は起業家であり、民泊サービスのAirbnbやフェイスブックなどの可能性を見出した投資家でもあるベン・ホロウィッツさんです。たいへん成功した方ですが、この本には辛かった時期のことばかりを書いています。成功者は、なぜ上手くいったのかを書く傾向にあるのですが・・・。

松田:「僕はこういうことをやってから成功したんだ」とかそういうようなものは、わしは絶対読まんぞ(笑)。読んで何のためになるか。

はい。ですので、この本は経営者の方に支持していただいています。

松田:それはそうだろうな。

<b>松田元(まつだ・はじめ)</b><br /> 広島東洋カープオーナー。1951年広島市生まれ。自動車メーカー、マツダの創業家に生まれ、77年に東洋工業(現マツダ)に就職。6年間勤務した後に、カープに転じる。オーナー代行として球団経営を学び、2002年より現職。理論的な経営を突き詰める半面、赤いパンツを履くなどゲンを担ぐ一面も(写真:橋本真宏、以下同)
松田元(まつだ・はじめ)
広島東洋カープオーナー。1951年広島市生まれ。自動車メーカー、マツダの創業家に生まれ、77年に東洋工業(現マツダ)に就職。6年間勤務した後に、カープに転じる。オーナー代行として球団経営を学び、2002年より現職。理論的な経営を突き詰める半面、赤いパンツを履くなどゲンを担ぐ一面も(写真:橋本真宏、以下同)

この25年間、カープは優勝から遠ざかっていました。その間は松田さんにとって、HARD THINGS、つまり困難な日々だったのではないかと思いますが、ファンの声はいかがでしたか。

松田:それは厳しいよ。愛憎というものがあるわけよ。ものすごく強い愛と、一転、裏返しになったときには、「(選手獲得に)お前が金を出さんからだ」「もう辞めたらどうか」とか。すぐに「元(はじめ)ー!」と言われる。松田さんと呼ばれるよりオーナーと呼ばれることが多いけど、やっぱり、元、元と呼ばれるんじゃ。元って珍しいんか、言いやすいのかもしれんけど、親でもないのに(笑)。

 (そうやって呼び捨てで非難されたら)辛い。でも、それを気にしよったらこういう商売はできんと思うよ。そこは自分の面の皮じゃなくて心の皮が厚くないと、なかなか難しいだろうね。だから、ぼろかす言われたら、その瞬間は傷つくけれど、その瞬間から自分ですぐ癒やすというか、もとへ戻す。しょうがないよ。

 ただ、友達は支持してくれるけど、球団がああじゃこうじゃ言われて、ファンやほかの人は支持してくれないんじゃないかと思うと、ちょっと辛いわな。ひとりぼっちになるような気がするときはあるわけよね。すごく辛い。

次ページ 原爆から5年でリーグに参加した球団、だから存続が最優先