柴田社長は外科医でもいらっしゃるそうですね。
柴田:私は向上心が旺盛な三男坊で、2人の兄を常にライバル視して、対等に、場合によっては追い抜くつもりでやってきました。ですから父に対して、私も家業の一翼を担いたいという話を、小学校のときにしたことがあります。
すると、老舗企業に兄弟が多いのはもめ事のもとだから、おまえは別の道を行けというようなことを示唆され、では何になろうかと考えたときの選択肢の1つが外科医でした。小学校の卒業文集には「医者になって厚生大臣になって一生を終える」といったことを書いています。ですので、正露丸で稼いだ父のお金で、医学部を卒業したのです。
そして外科医をしながら、山崎豊子さんの小説『白い巨塔』のモデルとなった大阪大学第二外科の神前(こうさき)五郎教授の門戸をたたいて入局しました。医学研究や臨床をしながら、父や兄の会社が未来永劫まで繁盛するために何らかの形で手伝えることがないかと、この頃は考えていました。

飢饉のエチオピアで“なぜか”正露丸が効いた
正露丸がなぜ効くのか、その解明にも柴田社長は関わっていますね。
柴田:大阪大学医学部で、私が最初に研修に行ったのは千里救命救急センターでした。1980年代半ばにエチオピアで飢饉が起きたとき、このセンターからは所長以下、医師や看護師が医療支援に出かけています。
その所長さんが帰ってこられて「正露丸ってすごい薬や。何で効くんや」と質問されました。私はそれまで、正露丸がなぜ効くのか習ったことがありません。薬理の教科書にも載っていませんから、思いつきで「(正露丸の主成分である)木クレオソート(もくクレオソート)は消毒剤みたいなものだから、おなかを消毒するんじゃないですか」と答えました。すると次の質問は「消毒剤を飲んで、すぐに腹痛が治まるというのは説明がつくのか」というものでした。
私はこのとき、この質問に答えられなければ、大幸薬品も正露丸も消えゆくと気付きました。
もともと、正露丸には発がん性があるのではないかという疑義がありました。日本人に胃がんが多いのは、国民が正露丸を飲むからだと発表された大学の先生もいました。ただ、欧州でも米国でも、抗生物質が普及するまでは樹木を炭化させて作った木クレオソート剤が大ヒット商品として市場にありました。その木クレオソートと、石炭から作ったクレオソートが誤認混同され、クレオソートという1つの言葉で表現されてしまっていました。ですからそこをはっきり区別しなくてはならないのですが、欧米ではそれができず、その結果、薬局から木クレオソート剤は消えていきました。
木クレオソートの安全性と有効性を明確にしない限り、日本でも正露丸は消えゆく薬になってしまいます。そこで、当時社長であった父に作用メカニズムを明確にすることを提案し、私の研究仲間でもあった緒方規男先生に大幸薬品の顧問になっていただいて、木クレオソートの作用メカニズム解明のプロジェクトを立ち上げていただきました。
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