少子高齢化が進み、健康寿命の延伸が目標とされる日本でフィットネスクラブの果たす役割は小さくない。その中で、いち早くシニアの利用者に目を付けたのがルネサンスだ。同社はフィットネスクラブをレジャー産業から健康産業へとシフトさせてきた。現同社を1979年に創業、今でも会長として活躍する斎藤氏に、今後の日本の健康産業の行方を聞いた。

2020年には東京五輪が控えています。スポーツビジネスに関わる立場として、今何を考えていますか。

斎藤:前回の東京五輪は1964年でした。この頃は日本が新しい社会に生まれ変わろうとしている時期で、世界へ新生日本をアピールしようという高揚感がありました。北京五輪、リオ五輪にもそれを感じました。

 今、成熟国になった日本が主催する五輪では、自分たちをアピールするだけでなく、これから発展する国の人たちにレガシー(遺産)を残せるものであればいいと思っています。64年の五輪のレガシーは、新幹線であり高速道路であり、つまりモノでした。しかし、これからのレガシーは健康な社会、スポーツを楽しめる社会であろうと思います。これから発展する国がそういった仕組みを整える手伝いを、日本ができればと考えています。

さいとう・としかず ルネサンス会長。1944年仙台市生まれ。<br />京都大学工学部卒業後、67年、大日本インキ化学工業(現・DIC)入社。社内ベンチャーでインドア8面のテニススクールを企画、79年ディッククリエーション(現・ルネサンス)創業。14~16世紀に欧州で起こった文芸復興運動「ルネサンス」を人間性の回復と読み替えて、社名、施設名とした。2008年から現職。公職に、経済同友会監査役、スポーツ健康産業団体連合会会長、日本ホスピタリティ推進協会理事長など。(写真:山本祐之)
さいとう・としかず ルネサンス会長。1944年仙台市生まれ。
京都大学工学部卒業後、67年、大日本インキ化学工業(現・DIC)入社。社内ベンチャーでインドア8面のテニススクールを企画、79年ディッククリエーション(現・ルネサンス)創業。14~16世紀に欧州で起こった文芸復興運動「ルネサンス」を人間性の回復と読み替えて、社名、施設名とした。2008年から現職。公職に、経済同友会監査役、スポーツ健康産業団体連合会会長、日本ホスピタリティ推進協会理事長など。(写真:山本祐之)

スポーツクラブも、今では若い人たちが通う施設というより、高齢者が使う施設という時代になっていますね。

斎藤:実は、例えば90年代のルネサンスの会員は60代が3.3%と少なく、20代、30代の利用が主でした。思い出せばこの頃、外部から当社に60代の監査役が来てくれたのですが、彼は当社の監査役になったからには運動をしようと自社のフィットネスクラブに通っていました。すると、肩こりはなくなるし血圧は下がるしと、体が快調になって、在籍中、ずっと運動を続けてくれていたということがあったんです。そこではたと思い当たりました。

 これまではフィットネスクラブは若者を相手にしてきたけれど、シニアにも役に立つかもしれないなと。当社では、シニアにもっとフィットネスクラブを使ってもらうために、シニア平日会員という制度をつくり、一方でハード面では、例えば会員がプールに入る際、はしごを下りるのではなく、手すり付きの階段を下りていけるようにしました。当時、こうしたシニア向けの施設づくりに追随する同業の会社はあまりありませんでしたが、こうした施策は徐々に受け入れられ、今では、会員の30%くらいが60代以上の方々です。

 2000年頃から、国の医療政策も治療から予防へ変わりました。英語には「治療の3ドルは予防の1ドル」ということわざがあるそうです。つまり、コストは予防のほうが治療の3分の1で済むという考え方があるのです。

 国は「健康日本21」と題して、1日の歩数などに具体的な目標値を設けて取り組みを始めたのです。ところが実際はその数字が良くなるどころか悪くなるケースが目立ちました。そこで国も、民間と一緒になってやろうということになったのですが、民間が参画するとなると、ビジネスにしなければなりません。例えば、楽しくやっているうちに健康になる、楽しいからお金を払うという仕組みが必要になるのです。健康産業として持続させる必要があります。

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