斎藤:カルチャーセンターを始めてしばらくすると、そのショッピングセンターの空きテナントが増えていき、ヨガ教室などもできるようになりました。するとそれを見て、他の商業施設からも声が掛かり、私自身も、いつしかこちらの仕事が技術者よりも面白いなと思うようになりました。代表者は社外の人に頼んで運営していたのですが、個人でサークル活動のようにして小規模でやっているのも歯がゆい。会社の事業にできないかと考え始めたのがこの頃です。
ただ、化学の会社がカルチャーセンターやらテニススクールをビジネスにするというのも唐突です。どうにか大日本インキ化学工業とスクール事業を結び付けられないか考えました。そこで思い付いたのが、テニスコートやテニスシューズの底に、当社が製造するウレタン樹脂が使われていることに目を付けて、そのウレタン樹脂を売るためにテニススクール事業とつなげる企画書を作って会社に提出しました。ところが会社は、斎藤はウレタン樹脂を売りたいわけではなさそうだと見抜いていました。一方で健康事業は面白そうだとも思ってくれたようです。
遊休地を持つ法人に建物を建ててもらう仕組みを考案
私はスクール事業を企画しているときに、千葉市にあった閉鎖していたボウリング場を、屋内テニス場にするアイデアを持っていました。ちょうどその頃、テニスがブームになっていましたから、スクール生も結構集まってくれるだろうと思っていました。結局、大日本インキ化学工業の3代目の社長がテニススクール事業を斎藤にやらせる、と判断してくれたのです。テニススクール事業がダメだったら、会社の体育館にすればいいと思ったのでしょう。
「ルネサンス テニススクール 幕張」を開業すると、最初から予想を上回る3300人の会員が集まり、2年目には会員数が4000人になりました。そこから、テニス一辺倒をやめて、プールを作ってスイミングスクールを始めたり、広いロビーを生かしてアスレチッククラブ、今でいうフィットネスクラブを作って、総合スポーツセンター「スポーツクラブ&スパ ルネサンス 幕張」にしました。
その後、既存の建物などを使って、他の場所にも同じような施設を開業するのではなく、新築して開業することを考え始めたのですが、大日本インキに債務保証をしてもらって借金をするのも潔くない。そこで、遊休地を持つ法人の地主さんに建物を建ててもらい、そこでスポーツクラブを運営する仕組みを考えました。地主さんは銀行からお金を借りて建物を建設するのですが、銀行には、我々がテナントで入るので、収益が上がりますという説明をしていました。

斎藤会長が長い月日をかけて様々なことに挑戦してきたことで、今では健康産業の発展を担う企業になったと言えそうですね。
斎藤:そうですね。水戸や名古屋にはそうやってスポーツ施設を作り、この事業部は新会社になりました。今で言うところの社内ベンチャーとなったのです。会社は35歳の私を社長にするのは心配だったらしく、本社の役員が非常勤で社長を兼務しました。ですが、実質的には私が指揮を執り、47歳の時に社長になりました。会社はその後2006年に東証1部に上場し、ルネサンス自体がDICから株式の過半を買い取り、名実共に親会社から独立して健康産業の発展に尽力しています。
(この項終わり。構成:片瀬京子、編集:日経トップリーダー)
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