話をうかがっていると、ことごとく世の中の流れに対して逆張りを選択されていますが、それは意識しているのですか。

大林:意識してはいません。自分ではこれが正しいと思ってやっているんです。効率より安全性、寮はなくてもいいかもしれないけれど、あった方がリクルートにはいい。そう思ってやっているんです。

他業界から飛び込んだから「これはおかしい」と気づけた

もともと大林会長は証券業界にいて、そこからこの業界に転じました。なぜですか。

大林:私は若い頃、日興證券の渋谷支店にいて、そのときにジローレストランシステムの社長だった沖広治さんに株を売りに行っていたんです。その後、大阪に転勤になってダイエーを見て、何と言いますか、新しい時代の到来を感じたのです。

 ちょうどその頃、私の妹がオーストラリアのメルボルンへ行きました。夫の養老孟司がメルボルン大学へ行くので、それについていったのです。するとそのメルボルンに、インドから輸出されていたボルツというブランドのカレーがあり、食べてみたらとてもおいしいので、お土産に持って帰ってきたのです。

 私はそれをジローの沖さんに「こんなものがありますよ」と持っていったら、沖さんはカレーが嫌いだった。そのときに「興味があるならやってみたらどうだ、応援するよ」とけしかけられて、それで若気の至りでこの業界に入ったのです。

 最初は「こんなにもうかっていいのかな」と思いました。あの頃は需給バランスが崩れていたので、扱うのがボルツのカレーでなくてもうまくいったと思います。

 外の業界から入ったので、冷静に見ることができました。だから「こんなわけがない、簡単にもうかり続けるわけがない」とも思いました。

起業してここまでで、最も大変だったのはいつですか。

大林:1980年に大手牛丼チェーンが会社更生法の適用を申請したときです。メーンバンクがたまたま同じでした。当時はうちもそれほどお金がありませんでしたから、社員に払うボーナスは銀行から借りていました。

 そのときも借りる算段をつけてから、インドへ買い付けに行きました。そうしたら帰国するなり、社員が空港に迎えに来て「大変です。銀行が約束をなかったことにしようとしています」と。結局、借りることはできましたが、つらかったことと言えば、そのくらいです。私は慎重な方なので、あまりむちゃをせず、だからあまり伸びなかったんですよ。