代表に就任されたのは27歳と聞いています。

一ノ本:そうです。そうなるように、父親に洗脳されながら育てられたんだと思います。

 小学校2年生のときの文集に、将来の夢として当時の家業だった「ホテルを大きくする」と書いているんです。大学を卒業してすぐ父親の会社に入って連帯保証を負いました。私が入社したときは、旅館を建てて4年しか経っておらず、まだ借金が4億円ほど残っていました。

 この旅館が、兵庫県のハチ高原にあるスキー場の横にある「ロッジ白樺館」です。ハチ高原にまだリフトがなかった60年代、山スキーのお客様向けゲレンデ食堂が始まりです。ハチ高原は関西最大級のスキー場エリアで、子供の頃は、たくさんのスキー客が来ていました。

一ノ本氏の幼少時代(写真手前)。背景に父親が始めた最初の宿泊施設「ハチ高原ヒュッテ」

「勝手に銀行からお金を借りました」

 ただ、スキー場近くの旅館はたいてい冬しか稼働しません。夏にも林間学校の生徒たちを受け入れていましたが、数は多くありませんでした。

 私は入社後すぐ、学校に猛烈にセールスを掛けて、雪がない4月初めから10月下旬まで1日も空けない予約を取りました。林間学校でできるプログラムは20程度から約150まで増やし、ネイチャースクールと名付け、「ここに来てさえもらえれば、私たち社員が何でも指導します」という体制にしました。

 この販売策が当たり、4年ほどで負債が約1億円減ったところで勝負に出ました。

 父親が始めた最初の宿泊施設は「ハチ高原ヒュッテ」ですが、この後「ロッジ白樺館」を建て、後に増改築をして「パークホテル白樺館」となりました。

 このパークホテル白樺館には、本館と別に古い建物がありました。父親はそこを3億円で改修しようというのですが、改修では宿泊のキャパシティーが増えません。借金だけ増えて、売り上げは増えないわけです。

 そこで、私は7億円を新規に借り入れ、隣の土地を手に入れて増築したのです。当時、経理も担当していましたので、勝手に銀行からお金を借りました。

 さすがに父親には「いいかげんにせい」と叱られました。ところが「そこまでやるんだったら、もうお前が全て経営したらいい」と言われ、このことがきっかけで私は代表になりました。今思えば、そうなるように父親が仕向けたのかもしれません。

 宿泊定員は350人から600人に増え、中学時代の友人たちに社員となってもらいました。ただし、会社の負債がまだ大きかったので、この後の5年間はほかの商売をせず、ひたすら財務の改善とオペレーション強化に取り組みました。

(後編に続く。後編の掲載は10月12日の予定です。構成:片瀬京子、編集:日経BP総研 中堅・中小企業ラボ)