1913(大正2)年に創業者の坂田武雄氏が欧米から帰国し、「坂田農園」を設立したのが「サカタのタネ」の始まりだ。それから1世紀あまり。種子の供給国は170カ国以上、「プリンスメロン」をはじめとするヒット商品も数多く生んできた。世界的な種苗メーカーとして注目を集める老舗企業のトップ、坂田宏氏に聞いた。
創業者のお孫さんで3代目でいらっしゃいますが、もともと会社を継ぐつもりで育ってこられたんでしょうか。
坂田:いいえ、全然です。大学卒業後は金融機関に就職したのですが、そのまま銀行員で一生終わろうと思っていました。

その後、銀行を辞めて、81年に入社されています。
坂田:ずっと外から種苗という業界を見ていました。今後の可能性を秘めた非常に面白い業種だなというのは、銀行員のときに感じましたね。継ぐとか、そういう話はそれまで全然なかったんです。
創業者の祖父自身、あるいは父もそうですけれども、ファミリー会社のままでは大きくなれないという考えはずっと持っていました。1つの転機はやはり、上場でしょう。86年に「坂田種苗」から社名変更し、翌年に東証2部に上場しました。種苗会社としては初めてでしたから、社内外の両方に対して大きなインパクトがあったと思います。
何しろ外から会社を見ていた時は、種屋って、ほとんどの人が知らないなと思っていました(笑)。当時は、「しゅびょう」と読めない人も多かったですから。だから、入社してから「広報しろ」とけしかけたり。もちろん、通販などを通じたファンはたくさんいらっしゃいましたが、大多数の消費者からすると、今でも見えない部分の方が大きいわけです。かつて米インテルが自社製CPU(中央演算処理装置)がパソコンに搭載されていることを宣伝して話題を集めましたが、まさに種苗も「インテルインサイド(インテル入ってる)」ですよね。
食べているけれども、その品種を作っている会社は知らない。
坂田:そうなんです。野菜に会社の名前を書くわけにいきませんのでね。目立つ必要はないんですけれども、野菜の、あるいは花の品種に貢献しているんだという点は、我々もアピールしたいところです。
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