アパートの売買なら保有中も稼げる
エー・ディー・ワークス社長 CEO 田中秀夫氏に聞く(前編)
2015年に東証1部に上場したエー・ディー・ワークスは、ポテンシャルが発揮されていない賃貸マンションなど不動産物件を仕入れ、リノベーションなどで価値を高めて売る不動産業を展開している。また、販売後の不動産管理、鑑定、相続対策といったサービスにも注力。海外で同様の事業を展開するほか、フィンテックならぬ“不動産テック”による新ビジネスにも踏み出すという。前編では、同社の創業からの流れを聞いた。
エー・ディー・ワークスは、もとは染め物工場だったそうですね。
田中:「青木染工場」です。新潟県南魚沼市に「鶴齢」という日本酒を造る青木酒造という老舗の蔵元があります。そこの分家である青木直治さんが、1886年に東京・墨田で始めたのが染色業でした。ですが、1966年には工場を閉鎖します。工場は福島県に移し、墨田区の跡地で始めたのが、不動産事業でした。
田中 秀夫(たなか・ひでお)
1950年生まれ。千葉県船橋市出身。73年、慶應義塾大学商学部卒業後、西武不動産入社。不動産鑑定士の資格を取得後、91年に独立し、田中不動産事務所を開業。92年、ハウスポート西洋(現みずほ不動産販売)入社。93年、大学時代の親友が継ぐはずだった青木染工場(現エー・ディー・ワークス)に入社し、同年、取締役不動産部長に就任。95年に会社を譲り受けてから現職。社名も現社名に変更した。(写真:山本祐之)
その青木家の一人息子と、私は大学の同期で仲が良かったのです。青木染工場のオフィスがあった東京・銀座の「交詢ビル」などによく遊びに行っていました。彼はこの会社を継ぐつもりでいて、その前にアパレル企業で修業をしていたのですが、病気で亡くなってしまいました。
当時、私は勤めていた西武不動産を退職し、個人で不動産鑑定事務所を立ち上げたばかりでした。その頃、青木染工場に挨拶に伺うと、「手伝ってくれないか」という話になりました。その話は、個人で不動産鑑定の仕事をしながらでも構わないということでしたので、個人事業の傍ら手伝うことにし、青木染工場で不動産部長になりました。
しばらくして、社長から会社を閉めたいという話があり、よかったら会社を譲るという話を頂きました。しかし、青木家との血縁はありませんし、お金もありません。ただ、私の大親友の青木が継ぐはずだった会社なので、潰すわけにはいかない。これを引き受けるのが使命だと感じました。そこで、資産や500人近くの社員を全て整理した状態で、社歴100年の会社を譲っていただいたのです。
収益が上がると分かれば高額で入札
青木染工場は主力が不動産事業に変わっていたとはいえ、ほとんどゼロからの再出発ですね。
田中:そうです。95年に歴史ある名前である青木染工場、Aoki Dyeing Worksを継ぎ、エー・ディー・ワークスとして再出発です。
このとき社員は、前社長である青木会長と私と事務員の3人です。資産もない。不動産事業は本来資金があって成り立つものです。お金がなくてもできる不動産の仕事となると、売買仲介と鑑定ぐらいです。なので、まずこの2つをスタートさせました。
田中:何年か続けて実績ができると、西武グループのファイナンス会社から少しお金を借りられるようになりました。
そこで、仲介をしていく中で出合った安価な不動産や、お客様が急いで売りたがっている不動産を買い、売ることもできるようになり、売り上げが伸びてきました。これを機に、競売にも参入しました。法改正もあり、一般の不動産事業者も参加しやすくなったのです。
鑑定と仲介の仕事は経験を積んできましたので、当社なら物件の本当の価値を判断できると考えました。当時は取引事例比較法だけを用いての鑑定が一般的でした。つまり、過去の取引価格を参考にするだけで、物件の収益性は一切問われなかったのです。
そこで当社なりに、このアパートは収益が上がるなと判断できれば、比較的高額で入札します。すると落札できる。これは面白いし、実際に見込んだ通りの利益も得られます。当社の収益不動産ビジネスの始まりがこれですね。
もちろん苦労もあります。私が新しいオーナーになったと、買い取ったアパートに住んでいる方との契約を結び直したり、空室ばかりの物件なら、外装などをきれいに直したりと大変です。
とはいえ、やはり利益率は高いのです。一戸建ての空き家を買った場合は、売るのが遅くなればなるほど損失が膨らみますが、アパートの場合は、保有している間、家賃収入が得られますから、売るのが遅くなれば遅くなるほど、儲かるケースも少なくありません。
アパートを運用して10%ほどの利回りを得られた時期は、借金をして物件を落札し、そこで得た家賃収入でリニューアルして売るということを繰り返しました。
こうした仕事ができたのは、鑑定と仲介の仕事の経験を積んできたことと、景気が低迷していて金融機関からお金を借りるのが難しい時期だったからだと思います。もしもバブル崩壊前にこの会社に入っていたら、どんどん借金をして、その後、多くの同業者と共に市場から消えていっていたと思います。
収益不動産は別に競売で買わなくてもいい
収益性を重視して競売物件を落札しようと考える会社はほかにはなかったのですか。
田中:最初はいませんでした。
話は少し戻りますが、競売で古いアパートを落札し、リフォームして売り出すとします。それが戸建てなら、その物件がある半径500mほどの範囲にチラシをまけば、今の家を狭いと感じているので買いたいという人が出てきます。売りやすいという点では一戸建てのほうがメリットがありました。アパートの場合はそうはいきません。販売ルートがなかったのです。
その後、アパートのオーナーを見つけやすい特定の地域に配布するチラシに情報を載せてくれる事業者が見つかり、この事業者のチラシを利用したら売れるようになったんです。すると今度は新規参入が相次いで、競合が増え、競売価格が上がっていきます。
エー・ディー・ワークスは、米国の物件も取り扱っている。写真は、ロサンゼルス郊外の物件をリノベーションした「Eucalyptus Apartments」の例
田中:そこではたと気が付きました。収益不動産は別に競売で買わなくてもいいな、と。その頃になると、普通に売られているアパートのほうが、競売よりコストパフォーマンスの良い物件になっていたのです。
価格だけ見れば競売のほうがまだ安い。ですが、競売物件には、すぐには販売できない、リニューアルもしにくいといった事情があるケースが多いんです。
例えば、債務者に立ち退いてもらうなど、売り主がやりたがらなかったことをやる必要がありましたし、売り主としては手放したくない物件が競売にかかることも多いので、その場合は設計図といった資料をもらえず、リニューアルなどが簡単にはできないこともありました。
そこで、普通に売られているアパートの売買も始めました。売り方も切り替え、大手仲介会社の個人富裕層の担当部署や、信託銀行の不動産部に紹介してもらったお客様を中心に販売することにしたのです。
その時々で事業を少しずつ変化させながら、順調に事業を伸ばしてきたようですが、課題はどのようなことでしたか。
田中:社員がなかなか集まらないことです。小資本の会社に入ろうという人はなかなかいないのです。
そこで目を付けたのが、不動産鑑定士の卵です。鑑定士は、一生懸命勉強して2次試験まで突破しても、実務経験がないと3次試験を受けられません。それを知っている鑑定士の中には、実務経験ができるからと、13万円程度の安月給で鑑定士を目指す人を使っている例もありました。
ならば、毎月20万円の給料を出せば、向学心のある優秀な人が来るのではと考えて人材を募集したところ、来てくれたんですよ。10人以上から応募があって、鑑定部という部門をつくり、年間3億円を売り上げるほどになりました。
エー・ディー・ワークスでは、仕入れた収益不動産の価値を高めて富裕層に売るビジネスを始めた。富裕層に売った後は、販売した収益不動産の管理や修繕工事、あるいはその他の資産のコンサルティングに携わる
ただその後、国の予算が減って鑑定の仕事が減ったときには規模を縮小する必要がありました。
社員に辞めてもらうのは経営者も社員も大変なことですが、鑑定士に辞めてもらう場合は、少し事情が違いました。鑑定士は、特に地方へ行くと稼げるんです。地方には鑑定士がほとんどいないので、個人事業でも高収入を得られます。地方出身者が多かったこともあり、普通の社員に辞めてもらうのに比べると、それほど胸を痛めずに済み救われました。
手帳に倒産した不動産会社をメモしていた
JASDAQへの上場は2007年10月ですね。
田中:不動産事業の規模を拡大していくには、やはりどうしても自己資金が必要です。この頃にはハウスポート西洋時代の同僚・部下たちも転職してきていましたが、上場をすればさらに社員を集められるだろうとも考えました。
そこで上場の準備を進めたのですが、株式市場が下降し始めたのに伴って1株15万円ほどであるはずの売り出し価格は7万円程度になると言われました。それでも、これを逃したら次はないと考え、了承しました。
幸いなことに上場初日には21万円ぐらいまで上がりましたので、結果的に問題なく安心しました。同業者も、この頃から上場へ動き始めましたが、米国の金融危機が表面化し、すぐにリーマンショックにつながりました。2007年に上場できた不動産セクターの企業は数社にとどまったんです。
バブル崩壊のときもそうですが、リーマンショックの時期にも不動産会社は次々に潰れていきました。
私は、100年企業の名前を受け継いでいる当社は絶対に潰せないと考え、どんな同業者が潰れていっているのか確かめるため、自分の手帳に倒産した不動産会社をメモしていたんです。そのうち1ページでは足りなくなって、2ページでも足りないという日も出てきました。それくらい倒産が相次いだんです。
(後編に続く。掲載は9月14日の予定です。構成:片瀬京子、編集:日経BP総研 中堅・中小企業ラボ)
日経BP総研 中堅・中小企業ラボでは、2020年以降も成長を目指したい中堅企業の皆様を対象に、2019年1月から「中堅企業 成長戦略勉強会」を始めます。
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