創業者の天才的なひらめきを社員が素早く形にすることで成長してきたジャパネットたかた。最大の試練はカリスマ、高田明氏の引退だ。偉大な先代からどのように事業を受け継いでいくのか。このコラムでは、仮説と検証で奮闘する若き後継者、高田旭人氏の人となりに迫る。
前編では、文字通り父の背中を見て育った旭人氏の生い立ちと父との関係、ジャパネットたかた入社までの経緯を明らかにする。

1979年長崎県生まれ。東京大学卒業。大手証券会社を経て、2004年、父・高田明氏が経営するジャパネットたかたに入社。コールセンターや物流センターの責任者を務めた。12年7月から副社長。15年1月、社長に就任(写真/鈴木愛子)
連れ立って街を歩くときは、何歩か後ろを歩く。すると、すれ違う人、すれ違う人がいったん通りすぎた後、前を歩く父の顔に気づいて振り向く。話しかけられれば、にこやかに対応し、カメラを向けられれば即座におどけたような表情で笑う。
「そんな姿を間近で見ていると、とても父のようにはなれないと思う。でも、あまり気にならない。僕は父とは違う。自分にできることをやっていけばいいと思っています」
そう話すのは、ジャパネットホールディングス社長の高田旭人。父とは通信販売大手、ジャパネットたかたの創業者、高田明だ。
明は、売上高1500億円を超える企業を一代で築いたカリスマ経営者で、毎日のようにテレビ通販番組に出演していた「日本一、顔が売れている社長」である。
1986年、明は父が経営するカメラ店から独立。長崎県佐世保市にカメラ販売を手掛けるたかた(現ジャパネットたかた)を設立する。ラジオ通販で手応えをつかみ、通信販売にシフト。94年からテレビ通販にも進出を果たす。明自ら通販番組に出演し、独特のセールストークで業績を大きく伸ばした。ジャパネットたかたの魅力は商品やサービスもさることながら、明の語り口そのものにあった。
旭人は2015年1月に父の後を継ぎ、社長となった。それでもなお「高田明の息子」というレッテルから逃れられず、一挙手一投足を父と比べられる。そんなふうに見られるのは嫌ではないのか。
「高田明の息子だという事実は変えられませんからね。いつかそう言われなくなるときが来るでしょう」
小さなカメラ店で育つ
旭人は1979年、姉、妹の3人兄弟の長男として生まれた。父が会社を設立したとき、旭人は7歳。自宅兼店舗だったので、家業は身近な存在だった。
自宅で、たかたの社員や取引先との宴会を開くことも多く、子供たちがその輪に加わって食事をすることもあった。
幼い頃から、両親に「仕事が第一」とはっきり言われて育った。仕事があるから家がある。家があるから家族が生活できるのだ、と。
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