:そうやっているうちに、当時の問屋さんから、1個ずつ個別包装をするよう提案を受けました。

 大袋にそのまま、たくさんのおせんべいが入っていると、時間とともにまぶしてある砂糖で袋の中が見た目に濁ってきます。個包装にすると、大袋に入っていたときより見映えが良くなるんです。ですが、当時の製造ラインで個包装をやろうとするなど、手間が掛かってとんでもないことでした。包装に使うフィルムも過剰包装で無駄だという感覚がありました。ところが個別包装にしたら爆発的に売れて、会社に勢いが出てきました。

 この頃に、製造改革にも取り組んでいます。それまでは売れ行きに関係なく、工場の稼働率を上げるために作っていたんです。設備を遊ばせないという発想です。ですが、もうそういうやり方ではダメなのではないかと気付き、在庫をゼロに近い形にしたことが、その後の成長につながりました。高度経済成長期には、どの会社でもとにかく工場の稼働率を上げることが目標のようになっていましたが、売れた分だけ作るというトータルな経営効率の向上が大切です。

 それから、適量の商品も作るようになりました。以前は、おかきやおせんべいは、1袋250円や300円して、量がたくさん入っていました。ですが今ではそれほどたくさんの量が必要な時代ではないので、150円や170円で売られるような商品を始めました。そうしたら、これも爆発的に売れ始めたのです。

業界初の商品で飛躍

岩塚製菓は米菓一筋で家内工業から大手製菓企業に成長しました。飛躍するきっかけになった商品があったのでしょうか。

岩塚製菓の飛躍につながった「お子様せんべい」。1966年発売。それまでになかった軽い味と食感
岩塚製菓の飛躍につながった「お子様せんべい」。1966年発売。それまでになかった軽い味と食感

:当社は見よう見まねで、家内工業で米菓作りを始めたのですが、社名が全国に知られるようになったのは、「お子様せんべい」という商品を出したときですね。

 「お子様せんべい」は、白くて柔らかいおせんべいですが、それまではこのようなおせんべいはありませんでした。実はこのおせんべいは、試作製造過程で、予定より水に長く浸けられたお米でたまたま理想の生地を作れ、それを焼き上げてできた製品です。今は乳幼児を対象にした商品になっていますが、当時は小学生や中学生のおやつとして広まりました。これもまた他社さんにまねられましたが……。

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