今でこそ書店で文具も買え、カフェが併設されている店舗も珍しくなくなりました。有隣堂はかなり以前から事業の多角化や店舗の複合化に取り組んでいますね。
松信:有隣堂の創業地は横浜の伊勢佐木町で、今も同じ場所に本店があります。既に大正期にカフェもあって、そこにあったステージでイベントも開催していたそうです。創業者である祖父が、新しもの好きだったんですね。本店が1959年に今の建物になったときにもレストランやギャラリーを設けていて、かなりはやっていました。
昔から多彩な試みに取り組んできた
70年代には、スポーツ用品を売っていたこともあたったとか。
74年に開業した横浜・馬車道の「ユーリンファボリ」には、テーマ性を持たせて書籍や文具、雑貨や画材、スポーツ用品まで並べていました。ライフスタイルを提案する店舗だったんです。カフェやギャラリー、音楽スタジオも併設していました。レストランなどの運営ノウハウは、その時々で途切れたこともありましたが、創業以来の進取の精神は受け継がれていると思います。
いつの時代も、業界に先駆けた試みに取り組んでいたんです。そういったことがステップとなって、新宿の小田急百貨店内にある、書店と雑貨店、カフェを複合した店舗「STORY STORY」やヒビヤ セントラル マーケットにつながっています。ですから、今さらカフェ併設の本屋だと威張るようなことでもないと思っています。

一方で、当社で始まった事業の多角化は自然発生的だったと思います。その理由は11人きょうだいに行き着くと私は思っています。創業者には子供が11人いました。一番上と一番下が女で、あとは9人が男です。
64年に横浜駅西口に初めて支店を出すまでは、伊勢佐木町に1店舗しかありませんでした。その土地も、戦後、占領軍に接収され、近くの野毛という場所でレジが2台しかない仮店舗経営をしていたこともあります。こうなると、きょうだい皆で働ける場所がありません。それで創業者は、店舗には居場所がないから外で稼いでこいと言ったのでしょう。それが当社の外商の始まりだと私は考えています。
当時、マルタンという会社がありました。京浜工業地帯にある大手企業の工場を顧客として、文具や機械を納めていた会社です。当社もそういう商売をやりたかったのだけれど、あまりにマルタンが強すぎて、入り込む余地がありませんでした。そこで官庁に目を向けました。今、いくらか官庁と仕事をできているのはそういったいきさつもあったんです。後にそのマルタンは当社の傘下に入っています。
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