チューリッヒ生命の日本代表に就任された経緯を教えてください。
太田:私は以前、AIGにおりましたが、(2010年にAIG傘下のアリコがメットライフ生命へ売却されて)、当時の私の最も大事なミッションは、メットライフへの統合が成功することだと考えていました。それに1年ほど関わった時点では成功していたと思います。その頃、チューリッヒ生命から声をかけられて12年1月に着任しました。
チューリッヒ生命が、日本で生命保険事業を始めたのは1996年です。損保はその10年前ですので、グループとしては今年で31年、生保は21年になります。外資系の保険会社は、法改正後の73年から参入が始まっていますから、そのときに参入していたメットライフなどに比べると、少し遅かったかもしれません。ですが、この10年でインターネット専業の保険会社を興した方もいますから、20年以上というのは、歴史があるとも言えると思います。
参入後、最初の5年くらいは契約数がいいペースで増えていました。しかし、その後、2002年、03年にチューリッヒグループ全体が危機を迎え、アジアの幾つかの国では事業の売却や撤退もありました。ただその後、グループとして再び成長の活路を見いだそうという意思決定がされ、日本でも生保に力を入れようということが11年頃に決まりました。

ソニーからの留学中、起業したくなり退職
さらにそれ以前、太田さんはどのようなビジネスマンだったのか、教えてもらってもいいですか。
太田:AIGの前はコンサルティング会社にいて、その前はソニーに在籍していました。もともと私は4歳まで日本におり、それから家族と一緒に米国へ渡り、12歳までをそこで過ごしています。姉と兄のいる末っ子で、2人から6年と5年離れていますので、割と自由にやっていました。12歳で帰国し、17歳で大学へ進むためまた米国へ行き、その後、日本へ戻ってソニーに入社しました。
ソニーから経営学修士(MBA)取得のために米国へ留学させてもらうのですが、留学中に退職届を出してしまいました。留学前に10年はソニーで働くという誓約書を書いていたので、留学費用は請求してほしいと会社にお願いし、その通りにしてもらいました。
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