取材前は、窪田社長にも久実氏に対するどこか鬱屈した感情があったのではと想像していたが、どのような角度から質問しても久実氏を尊敬する言葉が出てくる。「店舗運営で効率化できる部分はするが、会長が大切にした手作りの味は死守する」と言う。

 例えば料理に使う野菜は、国内外に約450店を展開する今も、ほぼすべてを店内でカット。母の手料理さながらの味にこだわり続け、それが成長をもたらした。

 「26歳で入社して以来、会長の考え方は私の中に刷り込まれている。手作りの味でお客様に喜んでもらう方法しか知らないことが私の弱点でもあるが、それを愚直に続けるしかない」と窪田社長は言う。

 一方、智仁氏に聞くと、窪田社長は創業者の志をないがしろにしているというニュアンスの言葉が口をついて出る。創業家に絡む対立では、創業者の志や理念といった「創業精神」が争点となりやすい。大戸屋のケースでも、最初は人間感情のすれ違いだったが、後に創業精神という言葉が出てくるようになった。

 双方に取材すると、手作りの味の追求など互いの方向性は同じに見える。本来なら創業精神の旗印の下で、協力できそうなものだが、双方は代理人や弁護士を立てて争い、泥沼の様相を呈している。智仁氏は、大戸屋に入り2年で父を失った。その直後から経営陣と対立したため、窪田社長との間で、腹を割って創業精神について話し合っていない。

 大戸屋が追い求める手作りの味とはどういうものか。なぜ、手作りの味にこだわるのか。そもそも創業精神は、なぜ必要なのか──。そうした点を一緒に深く議論せず、創業精神に対する相手の考え方をよく知らないままでいがみ合うから、一層らちが明かなくなる。

 昨今増えている創業家が絡む対立の原因を探ると、大戸屋と共通する部分も多い。創業精神は経営者の世代交代が進むごとに色あせて邪魔になる「無用の長物」ではない。苦境を突破する上で数々の示唆を与えてくれる「無形の資産」だ。だからこそ、創業家と経営陣の対立が深刻化した場合、創業精神という原点に立ち返って話し合うことが求められる。それが重要と考える点において、両者は必ず一致する。

(2016年11月号に掲載した「日経トップリーダー」の記事を再編集しました)

日経BP社では、三森智仁氏の著書『創業家に生まれて~定食・大戸屋をつくった男とその家族』を発行しました。「絶対不可能」と言われた食堂の多店化は、なぜ成功したのか。世間を騒がせた会社側と創業家の対立の背景には何があるのか。外食業界に大きな足跡を残したカリスマの一代記を、家族しか知らない秘話とともに詳述しています。