当時相談役で後に取締役になった河合直忠氏が両者の調停役を買って出たが、創業者功労金や不採算事業の扱いをめぐり、むしろ創業家が不信感を募らせてしまう。

大戸屋創業者の故・三森久実氏(写真:鈴木愛子)

 ここで言う不採算事業とは、山梨市にあった植物工場や上海事業などで、これが久実氏の死後、急に議論の俎上に載った。河合氏の下、久実氏の死亡保険金を事業撤退費用に充てることになり、予定されていた遺族に対する創業者功労金の支払いが延期された。

 この件は、常務だった智仁氏も経緯は聞かされている。しかし少なくとも智仁氏にとっては、納得ずくだったわけではなく、進め方は強引に映った。その結果として「父が保有していた株式の相続税を支払えないようにするため、功労金をストップしたのではないか」と疑念を抱いた。

 窪田社長ら会社側との間に距離ができていたところに、金銭が絡む問題で押し切られたことにより、不信感が大きく膨らんだ。

「ご遺族の感情にもっと寄り添えばよかった」

 窪田社長は「今となっては、ご遺族(三枝子氏、智仁氏)の感情にもっと寄り添えばよかった」と素直に反省の弁を述べている。では、どうして寄り添えなかったのか。そう問うと、窪田社長は深呼吸してから答えた。

「私はずっと国内事業を中心に担当してきた。海外事業や銀行折衝は会長(久実氏)に任せきり。けれど、その会長が亡くなった。これからは自分が大戸屋を引っ張らなければならない。そんな気負いがあり、三枝子氏や智仁氏の気持ちを十分に考えられなかった」

 智仁氏の側にも、父を亡くした悲しみの一方で、後継者として父の遺志をしっかり継いでいかなければという思いが募った。第三者委員会の報告書には「今すぐ社長になりたい」と智仁氏が発言したとする記述があるが、智仁氏は「それは事実ではない」という。

 ただ、いずれは父が育てた大戸屋を背負っていきたいという気持ちはあった。智仁氏は病床の父の後押しで、15年6月に常務に就いている。実力で勝ち取った地位でないことを重々承知していたからこそ、役員としての任を懸命に果たそうと考えていた。

 定食店を上場させたカリスマの後を継いだ2代目社長の気負い。創業者の志を継いでいかなければという息子の思い。

 創業者の後に残された人々は、デリケートな心理状態にある。そこが、単なる人間関係の悪化では済まない難しいところだ。両者の強い気持ちが合わさってプラスの力になればいいが、大戸屋では対立を生んだ。