さらに、創業者功労金を出すための臨時株主総会を15年12月に開催するというリリースを出していたのですが、それが中止になりました。功労金が出なければ相続税の支払いに支障を来します。
父の死後、不採算事業の処理が俎上に
会社側は「今後の経緯を見据えたとき、まずは不採算事業を整理し、さらなる業績向上を図ることが、株主の期待に応えるものと判断し、臨時株主総会を中止した」としています。
智仁:ただ、創業家の持ち株比率を下げるために、それまで関係者で合意していた功労金を出さないようにしたと思われても仕方がない動きもあったんです。例えばAさんからは「相続税が支払えないだろうから、会社で株を買ってやろう」とも言われました。
最終的には銀行から資金を借りることができ、株を手放さずに済みました(三枝子氏、智仁氏が、それぞれ筆頭株主、第2位株主になる)。
そんな中で再び香港赴任を求められました。しかし、このような状況下で日本を離れたのでは何をされるか心配ですし、だからといって、会社にいても話し合いの場すら持てない。
それで、香港赴任日だった16年3月1日の直前、2月24日の取締役会で辞任届を出しました。前会長が描いたものとは違う今の会社にいたいとも思わない。今日付で辞めさせていただきます、と。

ただ、これで会社側と関係が切れたわけではなく、16年5月に双方の話し合いの場が持たれたようですね。同年6月の株主総会で窪田社長は、「(5月の席上)今後は三森家と会社側が、当社の発展のために一致協力していく旨の合意に至った」と言っています。
智仁:Aさんが合意書を作ってきたので、そこにサインしたのは事実です。私に会社に戻ってきてほしいが、今すぐは無理だから2年後だとか、一見すると歩み寄りの部分もあるように思えたのですが、あとでよく読んでみると、それらは努力目標で、担保されているのはAさんが取締役に入ることだけ。冷静に考え、破棄したのです。
はっきり言えばAさんは、父が会長から相談役に退かせた人です。その人が今さら、取締役に入ること自体がおかしい。一般的に考えても、相談役までなった70代の人が取締役に戻るというのはないでしょう。なのに、自ら主導するかたちで役員に戻ろうしたのです。
だから、5月18日に会社がリリースした役員の新人事案を見て、ふざけるなと思いました。新任取締役としてAさんをはじめ、新しい面々が並んでいた。父の社長時代に降格させられ、父のことをあまりよく思っていない人が復帰したりと、Aさんの思い通りになる人が集められた印象です。
取締役11人中8人を新任で占めるというのは、経営危機に陥った赤字企業ならまだしも、あまりない人事ですね。ただ、智仁さんはこの人事案に反対する旨はリリースで表明しましたが、株主提案はしませんでした。
智仁:したくても、できなかったからです。父の持ち株を、私と母の名義に書き換える作業が完了したのは16年3月。6カ月以上、株を持っていないと株主提案権を行使できませんから。
社外取締役には、Aさんからの求めでおじの教雄が入っています。私は「おじさんが取締役になると、創業家とうまく関係構築ができているという会社側のパフォーマンスに使われるから、取締役にならないで」と引き止めました。しかし、「おれが会社を守る。智仁が帰ってこれるように何とかする」と飛び込んでいったのです。
これがおおよその経緯です。
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