売り言葉に買い言葉で、思わず心にもないことを口走ってしまったのでしょうか。

智仁:それは分かりません。ただこの日以来、私と窪田社長の関係が悪くなったのは事実です。実際に業務をやらせてみて、駄目だと思われたらそれは仕方がないけれど、やる前から無理だと言うのはどうか。結局、香港赴任の話は立ち消えになりました。

 これより前に窪田社長と対立したことはありません。窪田社長は父より13歳年下。父に誘われて大戸屋に入り、国内事業本部長を経て12年、社長に就きました。親戚ですから、昔から法事などで顔を合わせることはありましたが、その程度です。私の入社後も、社長と社員という関係以上の会話はあまりしなかった。

 ところが、この関係悪化は思わぬ展開を見せます。

 9月14日、東京・赤坂のホテルニューオータニで、父のお別れの会を開きました。その場で窪田社長はAさんという当時相談役の人に「相談したいことがあるので、時間をつくってもらえないでしょうか」と打診したようです。なぜそれを知ったかというと、その夜に、Aさんから私に電話がかかってきたからです。「実は窪田社長と関係が悪化して困っているんです」と正直に話すと、「分かった。おれが何とかしてやる」と、Aさんは仲裁を買って出てくれました。

 もともとAさんは01年に大戸屋が株式を店頭公開(現ジャスダック市場)した直後、現在の三菱UFJ信託から来ました。銀行では常務まで務めた人で、父は「メーンバンクの常務がうちに来ていただくなんて、こんな名誉なことはない」ととても喜んでいました。

 当初、Aさんは会長だったのですが、父の期待とは違ったようで、しばらくすると相談役に退いてもらいました。私は父の紹介で学生の頃からAさんと面識があり、大戸屋に入社後は、よく食事を共にしていました。私と母が、父の弔辞を誰に頼もうかと考えたとき、真っ先にAさんの名前が出たくらい、信頼していた人です。

 そんなAさんに、私と窪田社長の間を取りなしてもらえると思ったのですが、なぜかここから事態はさらに悪化します。

「降格人事」と噂される人事が

詳しく教えてください。

智仁:何日かたってから、Aさんが「メーンバンクが不採算事業の存在を知り、問題視している」と連絡してきました。融資を引き上げる可能性についても、言われた。この不採算事業とは何を指すのかというと、山梨県にある植物工場、中国の上海事業などです。

 確かにいずれも採算は厳しいが、屋台骨を揺るがすほどの損失では全くありません。それなのに「負の遺産」という表現を使い、唐突に問題視してきたのです。

 その少し前には、メーンバンクから大きな借り入れもしている。父の死後、いきなり手のひらを返して資金を引き上げるというのはおかしな話です。

 それで三菱UFJ信託に確認を取ると「そんな事実はない」と言われた。私が不信感を抱いたのはこれが始まりでした。すると今度は11月6日の臨時取締役会で私は常務から外されます。

世間で「降格人事」と噂されているものですね。

智仁:窪田社長は2016年6月の株主総会で「降格ではない。経営体制の再構築を検討する中で、意思決定のスピードアップ、組織のフラット化を図るため」と説明しましたが、それなら、事前に相談があってもいいでしょう。

 もともと6日の臨時取締役会の目的は、第2四半期の決算承認でした。ところが開催の直前、社長室に当時の専務と私が呼ばれ、降格人事について告げられました。その専務は、父と一緒に上海事業を担当した役員です。取締役会の決議に際しては、当事者ということで部屋から退出させられたので、有無を言わせず、です。

 この日以来、社内で窪田社長とすれ違っても、会話はおろか、目も合わせてくれない状況が何カ月も続きました。一方、相談役のAさんは頻繁に会社に顔を出すようになり、気がつけば、肩書が「相談役兼最高顧問」になり、「最高顧問室」までつくったのです。

【編集部注】会社側に最高顧問室について確認すると「A氏専用の部屋ではなく、出社しない日は会議室として誰もが使える」との回答があった。また、「目も合わせてくれない状況」については、「事実ではない」と否定する。「窪田社長は智仁氏を会社から排除しようという考えは決してなく、事実、智仁氏に対して、経営の安定している香港子会社のトップとして経営経験を積んでくるように提案した。またその準備の一環として、現場での店舗運営の経験も積むように話し合っていた」と反論する。

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