小平さんは病院の仲間 スタッフが一丸となれた

 採用が決まった後は、給与や働き方などの細かい調整が必要になります。病院内では、小平さんに週の半分くらいは相澤病院で働いてもらってはどうかという意見もありました。
 しかし、私は中途半端なことをしても結果は出せないので、スケートだけに集中してもらったほうがいいだろうと考えました。

 長野市の練習場の近くに部屋を探し、病院で借り上げて小平さんに住んでもらいました。
 そうして練習を積んだ小平さんは、翌2010年のバンクーバー五輪に出場し、女子パシュートの団体で銀メダルを獲得しました。
 私たちは応援団を組み、バンクーバーまで応援に行きました。小平さんは帰国後、みんなの前で報告会をしたり、入院患者さんを回ってくれたりして、みんなすごく喜んでくれました。
 病院のスタッフは小平さんを囲んで写真を撮ったり食事をしたりする機会もあり、小平さんは病院の仲間だという意識が非常に強くなっていきました。

 スポーツ選手を支援することで、私たちが感激したり、応援を通してスタッフが一丸となれたりして、非常にプラスになっていることが多く、当初私が考えていなかった効果もあるなと感じるようになりました。

 4年後のソチ五輪では期待を背負って出場したものの、メダルはとれず5位入賞に終わりました。小平さんはレースの後に涙も見せていましたし、相当に悔しい思いをしたはずです。

 その年の春すぎのことです。結城コーチを通して、どうしてもオランダのプロチームで練習をしてみたいという申し出がありました。慈泉会には職員の留学制度がありましたので、その制度を使ってもらい、留学期間中も生活できるように給与を支払い続けました。

 それから約2年後、小平さんは日本に帰ってきました。そこにはオランダに行く前とはまったく違う、女王の貫禄ともいえるような、確固たる自信を身に着けた小平さんの姿がありました。そうして迎えた平昌五輪での活躍は、皆さんもご存じの通りです。
 私たちは20人ほどの応援団を組み、平昌にその勇姿を見に行きました。小平さんがいなければ、私たちが金メダル獲得の瞬間に立ち会うことはなかったでしょう。そんなかけがえのないチャンスをくれた小平さんに、私はとても感謝しています。

相澤氏と小平奈緒選手