日本が過去最多となる13個のメダルを獲得した平昌五輪。女子スピードスケートの500メートルで金メダルを獲得した小平奈緒選手が所属するのが、長野県松本市にある相澤病院だ。小平選手は信州大学を卒業した後、2009年4月より同病院のバックアップを受け、スケートに取り組んできた。なぜ地方の総合病院がスポーツ選手を支援するのか。その背景にある思いを相澤病院の相澤孝夫・最高経営責任者に聞いた。
相澤病院は1952年に開設された総合病院で、私は1994年に院長に就任しました。
平昌五輪で金メダルを獲得した小平奈緒さんと私が初めて会ったのは、2009年のことです。長野県の信州大学でスケートを続けてきた小平さんは、卒業後も長野県に残り、結城匡啓コーチの下でスケートを続けることを望んでいました。そこで、採用してくれる地元の企業を探していたのですが、リーマン・ショックの影響もあったのでしょう。なかなか就職先が決まらず、困っていたのです。
結城コーチと親交のあった、当院のスポーツ障害予防科の医師からこの話を聞き、私は小平さんを応援したいと思いました。
慈泉会は通常の保険診療のほかに、人間ドックなど自費診療部門も持っており、全体の年間の医業収入は175億円程度です。一人くらい雇用できないはずはないと考えました。
その後すぐに、卒業を控えた小平さんと結城コーチが病院を訪ねて来て、3人で話をしました。2人は、私がどれくらいスケートに関心があるかが気になっていたのでしょう。最初に「スピードスケートって、どの距離を滑るか知っていますか?」と聞かれたのを覚えています。
「500メートル、1500メートル、5000メートル、1万メートルがありますよね。テレビでは見ていますよ」と私は答えました。
私が子どもの頃は今よりずっと気温が低く、生まれ育った松本市では氷点下5度や10度になることがよくありました。近くの池が凍ったり、校庭に土手を作って水を張って凍らせたりして、スケートで滑って遊んでいたのです。
そんなスケート談義で盛り上がり、小平さんを採用したい意思をその場で伝えました。

1973年東京慈恵会医科大学卒業。同年5月より信州大学医学部附属病院勤務。83年医学博士取得。94年、社会医療法人慈泉会相澤病院の理事長・院長に就任。2017年より相澤病院最高経営責任者。一般社団法人日本病院会の会長も務める。
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