例えば、電電公社が民営化されてNTTになった85年頃には、米ボイスメールと提携して音声情報サービス事業を立ち上げました。企業の持つ専用回線とNTTの公衆回線を接続し、必要なときにユーザーが電話を掛けるとそこでニュースなどが聞けるというサービスで、我々は通話時間に応じて自動的に課金し、徴収します。

 これはその後、NTT側が主導して89年にダイヤルQ2という形で実現しますが、アダルトコンテンツが溢れたことで社会問題化し、尻すぼみになってしまいました。

 本当なら、インターネットを使うべきだったんでしょう。ただ、私は言うだけで作れないので、考えていることとできることに大きなギャップがありました。このときにインターネットでのサービスを始めていたら、今、ミロク情報サービスはスマートフォン用のアプリをたくさん作る会社になっていたかもしれません。ただ、考えと実際の行動に大きなギャップがあったからこそ、奏功した例もあります。

開発については権限をすべて委譲した

どういったケースでしょうか。

是枝:当社はもともと、計算センター業務を手掛けていて、データを送っていただいて、それを当社の大型コンピューターで計算し、結果を送り返すというビジネスをしていました。安定したビジネスですが、自前でオフコンを持つ企業も出てきたので、当社もかなり後発ですが、オフコンを販売するビジネスに参入しました。

 当時、中小企業にもオフコンを導入するところが増えていました。でも、すぐにほこりをかぶってしまう。それは、まずはデータをコード化したり、そのコードをパンチテープなどを使って記録させたりと、入力の前準備がとにかく面倒だからです。

 そこで、コードレスのオフコンをつくりました。アイテムキーボードという勘定科目が並んでいるキーボードを作って、それを押すだけでデータ入力が完了するというものです。これなら手間も省けますし、入力ミスも防げる。

 実はこれは既に計算センターで使っていました。新幹線の切符売り場で駅名のボタンを押すと切符が出てくるのを見てヒントを得たのです。私はあれこそコンピューターだと思った。だから技術者に「とっくに新幹線でやっているじゃないか」と言って作らせたのです。

 それから、当時はCOBOL(コボル)やFORTRAN(フォートラン)というプログラミング言語が使われていました。これらの言語は人間に分かりやすいのですが、機械に理解させるには、それを機械語に変換する必要があるんです。だから私は、技術者には機械語に近いアッセンブラでプログラムを作らせました。その方がきめ細かく作れるし、処理速度も速いからです。こうして当社は、使い勝手が良く、きめ細かく、速いオフコンを、一番安く提供できるようになりました。当時、オフコンは1台300万円が相場でしたが200万円を切って、確か180万円で発売したはずです。

技術者にとってはかなり高い要求ですが、彼らにはどのように接してきましたか。

是枝:開発についてはすべて権限を委譲しました。自分にはできないのですから、信じて任せるしかありません。当時は資本金数千万円で、負債が約4億円ありましたから、もう後がありません。それが社内の結束を強めたのかもしれません。社員たちにも自分たちが創業者だというような思いがありました。

 運がいいことに、天才的な技術者が1人いたんです。税理士資格を持っていて、プログラムは独学で勉強したという人物です。人集めも彼に任せました。いわば不眠不休の作業を続けて、オフコン用のアプリケーションを4カ月で完成させました。