税理士などの会計事務所やその顧問企業向けに業務用アプリケーションソフトを開発・販売するミロク情報サービス(MJS)は、来年2017年で設立から40年の節目を迎える。合弁会社としてスタートした同社を1980年に買い取り、オーナー社長に就任したのが是枝伸彦氏だ。2005年に社長を長男の周樹氏に譲ったが、中小企業支援などでも積極的な発言を続けている。40年間の歩みを振り返ってもらった。
是枝さんは、ミロク経理で取締役を務めていた1980年に、ミロク経理と他社との合弁会社で、経営不振に陥ったミロク情報サービスの合弁を解消し、オーナー社長に就任しています。その後、ミロク情報サービスを成長させ、2014年度の売上高が223億8300万円、利益は17億5700万円の企業にまで育て上げました。成長の最大の要因は何だったのでしょうか。
是枝:ビジネスも人生も、7割は運で決まると思っています。残りの3割の部分を決定づけるのは、なぜこの仕事を、この事業をするのかをしっかり確認してスタートさせるかどうかです。それがあるとぶれません。
当社では「豊かな生活の実現、文化活動への参加、社会的人格の錬成」という企業理念があり、それを実現させるための経営方針があります。経営方針では、当社の商品は何か、その提供ターゲットはどこか、そこにどのように提供するか、この3つが決まっていますから、そこから逸脱せずに来たのが良かったのでしょう。
変わらない軸の部分を持つことが大切だと思っています。ただ、商品の形も科学技術も、それから法制度も時代によって変わりますから、当然、変化をしていきます。
私がこの会社をスタートさせた時代は、日本でファクトリーオートメーション(FA)、そして、オフィスオートメーション(OA)という言葉が使われるようになった時代です。工場や事務所にそれまでになかった機器が入り込むようになったのです。
その機器の中核をなすテクノロジーは、コンピューターと通信です。私たちの会社はそれらを使って、新しい価値をアウトプットするマネジメントシステムを提供するところから始めました。

1937年鹿児島県生まれ。60年中央大学法学部卒業。東京オフィスマシン勤務を経て、65年ミロク経理に入社。77年ミロク情報サービスを設立し、取締役に就任。80年に社長、92年から会長を兼務し、2005年会長。テレコムサービス協会会長なども務める。(写真・菊池一郎、以下同)
コンピューターに電話の使いやすさを
そのように、時代の変化を先取りする感覚はどこで身に付けたのですか。
是枝:大学を卒業して最初に入ったのは事務機の会社です。私にとって原点は事務機。それがオフィス現場で、徐々にコンピューターに変わっていくのを目の当たりにしていました。その頃はコンピューターと言えば欧米メーカーのもので日本製のものはありませんでしたが、こういった技術は我々の想像を超えるスピードで進化するんだと実感していました。
私は技術屋ではありませんし、どちらかというと機械音痴です。でも、科学者や技術者によって新しいものがどう作られていくのかには強い興味を持っていましたし、その先の世界についても感覚的に捉えていたように思います。
是枝さんは、学生時代には映画監督を目指していたと聞いています。新しい世界を作ることを夢見ていた是枝さんから見て、コンピューターは将来、どのようなものになる可能性を持ったものでしたか。
是枝:専門家だけが使えるものではなく、60代の女性でも使えるようなものにならなくてはいけないだろうと思っていました。例えば電話機には単純な0から9までの数字があるだけなので、誰にでも使えます。事務機であってもコンピューターであっても通信に使うルーターであっても、電話くらい簡単に誰もが使えるものでないとならない。科学技術は生活者のためにあるのだから、電話のような簡単さを目指そうという思いが、開発のベースには常にありました。
だから失敗もしました。生活者のためにという思いが強すぎたため、早過ぎて失敗し、損をしたケースは数えきれません。
Powered by リゾーム?